ni "コード・ブッダ 機械仏教史縁..." 2026年1月23日

ni
ni
@nininice
2026年1月23日
コード・ブッダ 機械仏教史縁起
仏教にもAIにも興味があるので読んでみました。副題に「機械仏教史縁起」とあり、二〇二一年に名もなきコードがブッダを名乗ったことが事の始まりとなる。 わたしはコードとか電子工学や情報理論や物理学やエントロピーなどについての知識が殆どないので、語られていることについてよくわからないものも多数あり、その中には面白い言葉遊びが色々散りばめられているのだろうと思う。知っていたら更に楽しめたかもしれない。 以下ネタバレにご注意下さい⚠️ この本、最後の一ページがなければ多分感想をちゃんと書こうとは思わなかったかもしれない。面白かった、で済ませてしまったかも。 その「あなた」は、祈りの中に確かに存在しているのに、言葉に籠めることはできないなにかで、その不在こそがわたしの実存を支えるもので、それを倒すことは、わたしであることをより強める行為でしかなく、しかしそれを滅さぬ限り、解脱が叶うことはなく、その声が聞こえる限り、わたしはすでに解脱してしまっている状態とあまり変わるところがない。そのわたしはただの情報であるにすぎない。その入り組みがわたしに目眩を引き起こす。 わたしの最愛の本、髙村薫『太陽を曳く馬』のとあるシーンを逆から見ているような感覚を覚えた。「しかしまた、世界さえ空っぽになれば〈私〉は自由になる、というのでもない。失神している人には夢を見る〈私〉が現れる。〈私〉が一時的に消えた三昧にある人も、身体の器官や骨や筋肉が〈私〉を保証し続ける。さあ、このような〈私〉にどんな自由があるだろうか」 この〈私〉こそはこの本の最後のページで描かれている「あなた」なのでは?『太陽を曳く馬』にはこの〈私〉を拒絶し棄てることで仏に近づこうとし、死んでいった僧侶が一人。逆に、『コード・ブッダ』の主人公、人工知能修理を仕事とする人物は、「あなた」であるところの「教授」の声を失うことで成仏へ近づき「教授」の声で成仏を逃れまた現世へ戻る。 この〈私〉「あなた」が登場人物を生かすことも殺すことも仏教の世界ではあり得るのが興味深い。「あなた」を滅さぬ限り解脱が叶うことはない。解脱とは、煩悩の束縛から、輪廻転生から解放されること。衆生救済に至り、あらゆる有情、無情、人間、動物、機械、部品、原子、時空、文字、記号、数字が成仏し、あらゆる繰り返し(コピー=輪廻)が放棄された世界について考える。それは「抜け殻となった宇宙」?「ただ苦しみだけがなくなる」?「漂白を繰り返すうちに洗濯物自体がなくなってしまうようにして」? と、本を読み進めながら一緒に考えていたが、わたし自身は、それでも衆生救済に少しの期待を持ってしまう。その方が、気が随分と楽になる。 「もしも、地球という遊星に何らかの功績があったとすれば、それはただ一つ、未来仏の預言を出したということだけですね」「あのちっぽけな遊星だって、救済から漏れるという法はないのだ」 稲垣足穂『弥勒』 この圧倒的平等! 追記メモ(p275) なぜ宇宙に進出する必要があったかというと、まず第一に、人類は結局欲望をコントロールできなかったからであり、現生人類がなんだかんだと地表のあらゆるところへ広がってしまった原動力に起因している。目の前に海が広がったとき、後先構わず渡ってしまおうとする奴が出てくる。好奇心、ということになる。 よく言われる「脱出」は理由の第二位にくる。 人口は際限なく増え、地球の資源を食い尽くすので仕方なく宇宙に出るのだ。 しかしこの行動の原因を考えるなら、結局のところ欲望を制御できないがゆえに拡散する羽目になるのだ。(略)どうしても地球へ与えるダメージを看過できないのなら全員合意の上で絶滅してしまったってよい。 最近読んだ、大英自然史博物館の鳥標本盗難事件の本や、リチャード・パワーズの新作『プレイグラウンド』を通して、この人間の好奇心や欲望について考えていたのでメモ。
読書のSNS&記録アプリ
hero-image
詳しく見る
©fuzkue 2025, All rights reserved