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@blue-red
2026年1月23日
トラジェクトリー
グレゴリー・ケズナジャット
読み終わった
単行本
ダイスケが言う。「グローバルマインド」を持って「グローバルに活躍していく日本人」をサポートするのが英会話学校の任務だと。しかし、ブランドンのように大きな決心や特別な訓練もなく勧誘に乗って他国から移り住み、その日その日を変わり映えなく働く英会話学校の講師は、その「グローバル」的なるものをもう実現してしまっているのではないか? ちょっとした需要とビザなどの政策・制度がうまくかみ合えば、国を跨いだ働き方も意外とあっさり実現してしまう。
もっとも、その生活は、テッシュ配りをしたり、面倒な生徒の相手したり、同僚と愚痴ったり、とても地味だ。巷で喧伝される「グローバル」は、キラキラしてスタイリッシュでワクワクに満ちた何かを我々にイメージさせるが、それとは程遠い。けれども、こっちこそが実地で、世の中の「グローバル」の大多数はこんな感じだ。
人付き合いも、同僚や昔の友人と飲みに行ったり、母国の家族とオンライン通話したりするぐらい。「グローバル」という言葉が連想させる煌びやかな広がりはない。仲間である同僚とは二軒目まで飲みあかすが、面倒くさい生徒のカワムラさんとは二軒目には行かない。そこに他意はない。普通のことだ。
けれども、思いもよらず軌道はニアミスし、興味も無かったアポロ計画の詳細に付き合わされたり、文化的・地理的・年代的に生まれも育ちも異なるおじさんの人生の一片を深く知ることもある。「グローバル」が虚栄を超えて意味を持つならば、そんなニアミスにあるのだと思う