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@blue-red
お金と本棚が無いときは、所持している本を読み直してやり過ごしてます(´・ω・`) → 本棚ふやしたのでしばらくは安心して新しい本買える(*´ω`*)
  • 2025年11月16日
    それがやさしさじゃ困る
    それがやさしさじゃ困る
    子どもが「つくる」ことについて触れた収録論文が特に良かった。 確かに自分も、幼少・小学ぐらいまでショボいけれども何か作ってやろうとしていたが、思春期ぐらいから作ること・出来たものを正に「気恥ずかしく」なっていき、純粋に作れなくなった。 けれども、年を取り、「つくる」ことに向き合っている。一周して昔の自分に再会したようだ。
  • 2025年11月9日
    工場日記
    工場日記
    工場に縁ある人間なので、シモーヌ・ヴェイユの思想も著作も解説書も読んだことないが興味わいて手に取ってみた。 読んでいてまず驚いたのは、一年弱の短い期間なのにかなり色んな機械工作作業を行なっていることだった。ヴェイユが携わるのは機械部品製作で、使用する工作機械や行われる作業は、大型プレス機、小型プレス機、フライス盤、歪取り、リベット打ち、穴あけ、溶鉱炉、焼なまし、型抜き、ねじ切りなどなど。製作する部品は絶縁材、座金、缶、コンデンサ用箔、圧着端子、シャント、ネジ、受け座などなど。1日当たりの製作数は数百から二、三千。しかも日によって製作部品がコロコロ変わる。人文的には興味持たれない部分なんだろうけど、当時のディープな機械系工場模様に唸らされる。 さらに、支払い金額や仕損じといったさらなるディテール、職場の人物たちとのやり取りや印象などなど。日記の後半はそれらに基づく思索が増えていく。「何でも見てやろう」ならぬ「何でも記録してやろう」「何でも思索の糧にしてやろう」という気迫がすごい。 本書の紹介文を覗くと、過酷な日々に心身が消耗していく悲壮な記録として紹介されるのが一般的なようだ。それは確かにそうで、嘆きにも似たヴェイユの肉体的・精神的な苦痛の描写は、本書全体に重くのしかかっている。しかしかつての生徒向けの手紙という体裁ではあるが、安直な革命信仰を一蹴するかのように、ヴェイユは次のように自身の経験を肯定する。 「なぜなら、いまこそようやく、この経験に含まれる利益をすべて引きだせる状態にたどりついたからです。とりわけ、抽象の世界を抜け出し、実存をそなえた人間たちのただなかにいるという感覚をいだいています。善い人も悪い人もいますが、いずれも本物の善さと悪さです。」p.242-243
  • 2025年11月5日
    新プロパガンダ論
    新プロパガンダ論
    プロパガンダというくくりで見る2018年から2020年ごろまで政治ネタ批評対談といった本。ただ、いかんせん現在の政治とメディアの状況が、この頃から一歩も二歩も変わってしまってるので、本書は若干賞味期限切れしてしまった感は否めない。自分の場合は、意図的に現在との違いを探りたくて再読したのだが。 儲かるから或いは推しだからという理由で自発的に作られた政治系切り抜き動画がたくさん出回るさまが象徴するように、本書からわずか5年の間に、「プロパガンダ」というような政治側が一方的に仕掛ける時代ではなくなったのが現在だ。むろん政党・政治家サイドからの「マーケティング」は真っ当なものも道理を外れたものも含めて今も続いているわけで、それらの受け止め方の一材料を供する本ではある。
  • 2025年10月26日
    探究(1)
    探究(1)
    ウィトゲンシュタインの言語ゲームを核にして、「他者」とは何かを探る本。色んな哲学者・思想家の言説を紐付けながら思考を広げていくさまには舌を巻く。「話す-聞く」の立場から「教える-学ぶ」の立場で言語に接することで「他者」が現れるという視点は面白い。 言語ゲームの規則を共有する者の集まりが共同体であり、共同体と共同体の間、すなわち言語ゲームの規則を共有しない者との接触で「他者」が現れるというの全くその通りだろう。だが、別に共同体を離れるような仰々しいことをしなくても、言語ゲームの規則のすれ違いは誰とでも常に起きるので、そこに敏感でいることが「独我論」から離れる秘訣だと思うな。少なくとも日常レベルでは。 ウィトゲンシュタインと並んでマルクスの資本(の中の貨幣論)も議論のウエイトを占めるが、これもものすごく雑に平たくまとめると、商品や商売のおかげで「他者」と出会えるよねという結論になるな。うーむ、自由市場経済万歳。 しっかし、ドストエフスキーの小説で出てくる、あのねっちこい陰キャラ感全開の予防線張りまくり長回しセリフたちにこんな高尚な意味があったとは!? バフチンのポリフォニー理論は知っていたつもりだったが思わず本当かよとツッコミまずにいられない。
  • 2025年10月19日
    臨床のフリコラージュ
    臨床のフリコラージュ
    内容を一言でいえば2人の心理臨床・精神医学オタクトークなんだが、門外漢にも充分おもしろい。私見だが、こういう対談本は中身以外に前書きと後書きの重要度が大きい。前書きと後書きで対談を串刺しにして、書籍としての一体感を一気に高めるわけだが、本書もご多分に漏れず前書き・後書きがとても良きなり
  • 2025年10月19日
    きことわ
    きことわ
    登場人物・ストーリー・舞台設定・セリフ・心情描写に、何の奇抜さもケレン味も驚きも衝撃もスキャンダラスさも無い。分かりやすい悲劇も喜劇も無い。幼少期に交友のあった女性二人が25年後に縁あって再会し、二日間ほどある家屋の片付けを行って終わり。 しかし、そういった奇抜さがあろうがなかろうが25年の間に生活は積み重ねられ人生は進んでいく。出産・育児があったり、家族の早世があったり。そこへ感情と記憶が付着し、心の中に晴れない何かが溜まっていく。小説は、そういった機微を丁寧に記述する。 これだけ地味な小説なのに、最後まで自分が楽しんで読めたことにおどろく。若い頃だったら絶対無理だったであろうと考えると、年を取ることもまあ悪くはないかなと思えてくる。小説の締めくくりもこれまた地味なわけだが、何だか整理がついたような、とても前向きなラストに思えてくるから不思議だ。
  • 2025年10月19日
    ハンチバック
    ハンチバック
    読後に反芻していると、東畑開人による心理臨床が「心を可能にする仕事」と「心を自由にする仕事」へ分類される話を思い出した(「臨床のフリコラージュ」など)。大雑把に言えば、前者は環境調整を行い、安全や余裕を確保する。後者は当人の中で反復されること、深層的な心の問題を扱う。 小説には、社会の中で括弧付きの「普通」に収まらない人が「心を可能」にしようと苦闘するさまを中心に描くタイプがあり、同じく芥川賞受賞した「コンビニ人間」などはこちらか。 「ハンチバック」では、「心を可能にする」こと(身体障害者の環境の問題)についても語られるが、それ自体は主人公の思弁や個有名の引用として触れられるに留められる(しかし、その語りは強烈なパンチ力を放つが)。物語そのものは、むしろ、環境を寄与のものした上で「心を自由にする」スリリングな試みを中心に進んで行く。語りの視点を使い分けながらそれぞれをハイブリッドに収めることで、本作は幅広い読み手を引きつける作品強度を持っている。
  • 2025年10月11日
    ブラックボックス
    現代小説には様々な形で社会からはみ出す人たちが描かれ、我々の常識にさざなみを起こす。しかし、その人物がときおり感情を抑えきれずもはや正当防衛といえないレベルで暴力を振るう人物だったらどう受け止めるべきか。ダイバーシティとは社会的排除とは包摂とは、さてはて。 そんな倫理的な談議はさておき、終着点は明白だ。逮捕されて刑務所にぶち込まれる。それでお終い。そんな物語。 しかしこれは小説だ。そこには彼の人生と心が書き表わされる。読者を「それでお終い」にさせない場所まで連れて行く。 “自分が物を直すとき、直した後に感じた高揚感は所有欲とか見栄とかいうのではなくて、これならどこまでも行ける気がする、そういう直感をもたらしてくれるからだった、と今になって思う" その感覚なら、よく分かるぜ!
  • 2025年10月11日
    コンビニ人間
    コンビニ人間
    明け透けのない思考と次の瞬間には何か突拍子もない行動をしそうな主人公、脇を固めるある種わかりやすくキャラ立ちした登場人物たち。とくに白羽が活躍し出して以降は文字通りページをめくる手が止まらずに読み切ってしまった。おもしろーい 小説が問いかける社会的問題と向き合うも良し、ハラハラドキドキエンタメ小説として楽しむも良し。前者の点においても鋭利に私たちを刺す。個を個として受け止めず「ムラのオスとメス」の仲間にしたがる社会。優れた小説とは多面的に楽しめるのだなー コンビニでしか世界の一部になれないという一見悲壮な設定とは裏腹に、主人公の働きっぷりとコンビニの描写は生き生きとしていて読んでいて楽しい。コンビニ労働のいわゆる「お仕事小説」としても秀逸に機能している。 しかしまあ自分がコンビニ店長なら、最強人材である古倉さんには感謝感激雨あられでしょ
  • 2025年10月11日
    東京都同情塔
    東京都同情塔
    芥川賞受賞作に言うのも失礼な話だけど、グルーヴ(本書の言葉でいえば「フロー」)の効いた読み易い上手い文章で、グイグイと読まされてしまった。バベルの塔や言葉の壁がモチーフなのに、小説そのものはとても読みやすいというアンビバレンス。著者の他の作品も読んでみたい 場面や状況の展開そのものはミニマムで、ほとんど登場人物の思考や会話で占められる。何やら社会性や政治性を誘起する設定の小説だが、良くも悪くもテーマの重さは感じさせない。宣伝されてない本書のもう一つのテーマは建築・建築家の持つ欲望についてだと思うが、個人的はそちらの方にアクチュアリティを感じ、今後も気になりそうな概念だ。 些細な点だが指摘しておくと、登場人物に死去をもたらすために精神的な異常者を物語ご都合的にその場限りで用いるのは好きじゃないな、とサラ・マキナのように頭の中の検閲が
  • 2025年9月8日
    イルカと否定神学
    これは……良い!!! 何やら固そうな書名と地味な装丁で敬遠されないかと勝手に心配してしまう(ToT) 後書きにも書かれているようにできる限り読みやすさに配慮され、登場する用語には要約説明もつけられており、入門書感覚でも読み始められる(はず)。 オープンダイヤローグによる精神病回復効果の基礎を解明するという動機から書かれた本だから、そんな専門っぽいマニアックな問いに興味持たれないのかもしれないけど、ここで論考される「対話の謎」解き明かしは、もっと日常的、一般的、普遍的なレベルでも大いに示唆を与えてくれると、オレは思うんだけどなあー。 以下、自分的超解釈メモ: 言葉(対話)で相手の考え(コンテクスト)を変化させると言えばめちゃくちゃ普通っぽいんだけど、本書はさらに思索を深め、言語が本質的に持つ否定神学的構造(唯一の実体というものを持たない空虚)、そこから生まれる逆説化がコンテクストの揺さぶりを起こすという仮説が熱い。 これは下手すると悪い方向の結果も生み得るわけだが、そのためオープンダイヤローグはポリフォニーと余白が重要。非誘導的な余白が学習Ⅲを活性化させる。あとは個々人が持つレジリエンスを信じる。そんな感じか。
  • 2025年9月7日
    しをかくうま
    しをかくうま
    ちょっと悪い言い方をすれば、読後の感覚はどう受け止めればいいかよく分からず座りが悪い。即物的だが良い言い方をすれば、読後もたくさんの伏線・ダブルミーニング・メタファーを咀嚼して味わえる小説。 登場人物たちの会話と行動はなんとも浮世離れしており、一般的な意味での共感は誘わない。最後の自分の脳で創作することに拘る未来人が、もっとも現代人的で共感しやすいのが皮肉的だ。作者の本意ではないかもしれないが、昨今の「考察」系のテーブルに載せることもできそうだなと思った。 座りの悪いままにしておくのも良いが、自分なりの解釈を本棚に戻す前に書き残そう。 「しをかくうま」とは「詩を欠く馬」。言葉は詩であり、名前は詩であるのに、作中で名前が呼ばれないままの主人公は「詩を欠く馬」であり、馬=詩=言葉を追い求める続ける。TRANSSNART(主人公の子孫か)もまた言葉を追い求め、雨の中で立ちすくむ。この物語は、言葉を自分のものとする欲望から、不治の病のように逃れられない者たちの焦燥の物語。
  • 2025年8月24日
    ダイエット幻想
    現代人ならば、ほとんどの人間がやせること・やせたままでいることを何らかの形で意識する時代。そもそも現代人はなぜやせたいと思ってしまうのかという本質的な問いに、承認欲求という問題までさかのぼって、きれいごとでごまかさずに説明しようとしているのが素晴らしい。 “他人に呼びかけられることで自分は初めて存在するという抗えない事実に向き合いながら、他者の声に漂流することのない自分はいかにして実現しうるのか” 若めの女性を想定読者としている本だが、実際のところ、男性も中年も含めた幅広い人たちを射程に収める本だろう。はらだ有彩による挿し絵も魅力的で、本書をやさしく彩っている。
  • 2025年8月15日
    最近のウェブ、広告で読みにくくないですか?
    表題どおり、最近のウェブ、広告で読みにくいと思わざるを得ない今日この頃なので読んでみる。分かっていたことだが、結局は無料配信である以上はなりふり構わず広告で稼ぐしか無いということに尽きるようだ。 表題の話と、後は新聞なども含めたメディア業界の過去・現状・将来の話が中心を占める。格好つけない率直な文章は好き。何となくしか知らなかったウェブメディアの内情がリアルに語られてて良い。 本書のウェブ広告の話は、一ウェブメディア編集側からの説明・分析なので、プラットフォーマー側やウェブ広告会社側からの解説(暴露話)もぜひ読んでみたい。企業機密的な問題により実現難しいだろうけど。
  • 2025年8月15日
    クラフトビール入門 飲みながら考えるビール業界と社会
    美味いビールを求めさまよい続けている人間なので読んでみたが、うーむ、わたしくとしては「ピルスナーというのは……」「エールとは……」「このブランドは……で」みたいなベタな用語解説を中心に読みたかったのだが。。そういう人には本書は向いてなさそう。 細かい勉強よりも実際に飲んで楽しめば良いんだよ的なことを著者はおっしゃるが、その実際に飲み広げるために、あるいは飲んだ後の頭の整理のために、偏見含みでもいいから一通りの知識や情報を持った方が良いと思うのだが。パブに入って店員に話しかたり、ビール祭り行って盛り上がるなんて、筋金入りの陰キャには厳しいです(^ ^)。クラフトビールの定義を定めるべき、統計取るべきと力説されても、単なるビール好きにはどうでもいいかなっと。 残念ながらイマイチだったのでクラフトビール買ってヤケ酒しよう。
  • 2025年8月12日
    詩のこころを読む
    岩波ジュニア新書の1000冊達成フェアで選書されたものの中から興味を引いたものを買ってみたが大正解。茨木のり子による、平易な言葉でつづられた、理智的でそれでいて情熱のこもった解説がすばらしい。もちろんチョイスされた詩たちもすばらしい。 戦後から本著出版(1979年)までの自由詩が主に採り挙げられているようで、宮沢賢治とかの超有名どころぐらいしか知らないけれど詩にちょっと興味があるような人たちが、さらに詩の世界を知るのに手に取るのにちょうど良いのではなかろうか。 "作者は別のところで、独断を恐れていては一篇の詩も書けないと言っていますが、私もそう思います" "詩のおもしろさは独断のおもしろさかもしれないのです。ちっぽけな独断か、深く大きな独断かの違いがあるだけで" p.222 本書の解説や意見もまた「独断的」なのかもしれないが、それもまた承知の上か。著者は恐れず良い詩とはを語る。
  • 2025年8月9日
    時間と自己
    他著の引用から木村敏に興味を抱き、本屋で漁って適当に選んで買ったみたら、精神医学と哲学思想が交差する深い鉱山の中にたどり着いたようだ "祭り"は過ぎ去り、現在と未来はこれまでの延長でしかないという感覚のポスト・フェストゥム。分裂病 "祭り"はこれからやって来るはずで、未知な未来に固執するアンテ・フェストゥム。鬱病 今が"祭り"のさなかであり、直接的な現在を生きるイントラ・フェストゥム。癲癇・躁病 「私は……である」という主語的な自己と「……は私である」という述語的な自己。それらの相補的・反復的関係性 哲学思想系の本は抽象的な思索にずっと終始してとっつきづらいことが多いけど、本書は、身近な問題である心の病気をバックボーンとし、実際の患者のインタビュー例などを交えることでけっこうとっつき易い(あくまでも比較的だが)。著者のほかの著作は読んだことはないが、新書ということもあって読みやすくまとめられている方なのかしらん? 時代を超える名著ですね
  • 2025年7月27日
    人間の条件
    人間の条件
    完読した、というか大体?読んだという感じだが、一応の区切りとして投稿しておこう。人間の活動を「労働」「仕事」「活動」の3つから捉えたアーレントの主著で、多くの哲学書の古典と同じようにムチャクチャ読みづらい(古典の中ではマシな方か?)。「よくわかる〇〇」みたいな、やさしくやさしく噛み砕かれた書籍に慣らされた現代一般ピープルには大変だったぜ 読みづらいんだが、一文が含意する内容が異様に深いから面白い。アーレントの「労働」「仕事」「活動」の枠組み分けには絶妙な説得力があり、使い易い。人文書における「人間の条件」の引用は未だに多く、現代社会を考えるうえでの応用可能性の高さを感じさせる。 本書はアーレントの思想・洞察があますところなく含まれたものらしく、「労働」「仕事」「活動」の話に限らず、さまざまな「アーレントが考える〇〇」が著されている。國分功一郎が最近の新書で「目的」に関するアーレントの考えを本書から引いていてびっくりした。アーレントが本書中で「多くの著作家たち」が「マルクスの思想と洞察の大きな宝庫から公然隠然と多くのものを借りて」いたと述べているように、本書もアーレントの思想と洞察の大きな宝庫なんだな 普通の読書のように最初から最後まで連続して読もうとしても分厚くて大変なので、興味の湧いた節の単位でつまみ食い的に読んでも良いと思う。というか自分もそういう風に読み進めた。あとは、上記のように色んなことが書いてあるので、自分の問題意識や興味関心と繋がりそうな熱い一文や箇所を探しながら読み進めると、飽きずに読めると思う
  • 2025年6月21日
    心を病んだらいけないの?
    対談本が持つ、お互いに出し合う意見や知識が誘発し合いながら話が膨らんでく感じってやっぱいいよね。これは特に、六回に及ぶ対談を圧縮・整理して作られた本のためか、話にダレたところなく濃厚。この二人なら鉄板だろうと読む前から思っていたけれど。さすが小林秀雄賞 狭義・広義の心の病を主題に置きながら、色んなネタ(学問的知見)が出てきてオモシロ〜。時間意識の「祭り(フェストゥム)」の前・後・最中・間の考え方とかめっちゃ勝手に応用していきたい。引用されている本も掘りたい。精神医学系もまた色々漁ってみるかー。やっぱし面白い本はさらに本を呼び寄せるな
  • 2025年6月14日
    〈選択〉の神話――自由の国アメリカの不自由
    〈選択〉の神話――自由の国アメリカの不自由
    選択には社会的・経済的・心理的な制限が存在し、純粋で自由な選択がありえないことの解説。さらにそこからリバタリアン的な自由市場信仰や無規制無干渉信仰への批判が展開される。前者の方は行動経済学や心理学の書籍やウェブサイトでたくさん解説がある時代なのでそこまでの新しい知識は得られなかったが、白眉なのは第七章の自己責任に関する議論。よくあるナイーブで感傷的な「自己責任」批判から、一歩進んだ分析が読めた。 著者は自己責任を選択的自己責任と分別的自己責任に分け、前者は自分で決断しろと繰り返すだけで「決めるにあたって何の助けにもなりはしない」と指摘する。ノーヘルでバイク事故を起こして重傷を負った人がいても、「自己責任だから」と救急車を呼ばない・治療を受けさせないなんてことは結局できないのだから、本人が選択の結果を最も受け止めるにしても社会や他者もそれなりのコストや労力を払わざるえないのだから、選択にある程度の社会的な規制や干渉(この場合で言えばヘルメット着用法律義務化とか)は必要でしょという理屈はとてもアクチュアルで鋭い。
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