
ジクロロ
@jirowcrew
2026年1月27日
さみしくてごめん
永井玲衣
ちょっと開いた
思い出せないということが、絶えず思い出される街が渋谷だ。店舗が目まぐるしく変わるだけではない。最近の再開発の動きで、渋谷は地形まで変わってしまったかのように思える。だが、かつての姿を思い出すことができない。空席はすばやく埋められ、また何かが出ていき、そしてふたたびまた埋められる。
(「思い出せないことが絶えず思い出される街、
渋谷 」p.101)
読んでいて、渋谷は「主体」(つまりわたしが「わたし」とよんで息をするもの)概念をうまく説明してくれるメタファーな気がする。
渋谷を徘徊する人間の一人一人は歯の一本一本であり、そこにあるものはすべて、すべからく噛み砕かれていく。時間と空間と動植物は、そんな無数の歯により変容していく。そしてそこにあるすべては、消化不良となることが運命づけられている悲しき臍帯、「喰えない」ものである。
建物もインフラも人間もドブネズミもすべては等価である。
動的不平衡、静的破砕剤、それが渋谷であり主体の定義。
そして渋谷であり主体もまた、「さみしくてごめん」という中動態の一要素であるということ。
