はに "殺人出産" 2026年1月28日

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@828282chan
2026年1月28日
殺人出産
殺人出産
村田沙耶香
◾️殺人出産 人口減少対策として、10人出産したら合法的に1人殺すことができる『殺人出産システム』が導入された近未来の日本が舞台。一見ぶっ飛んだ設定のように感じるが、制度ができた背景や社会的な合理性が淡々と語られるため、気がつけば作中の価値観を受け入れてしまっている自分がいる。 この作品で印象深かったのは、殺人の動機の扱われ方だ。10年以上の年月をかけ、命懸けで10人出産してまで達成したい殺意なのだから、殺される側はその執念深さを生み出すほどの卑劣な行いをしたのではないか、と予想していた。しかし、そこに描かれていたのは、殺される側に落ち度があるとは言えない、あまりに身勝手な理由による殺人だった。 社会が一定の条件のもとで殺人を許容した途端、殺意に大義名分は不要になる。そればかりか「社会のための制度」として正当化されてしまう。 ここで気づかされるのは、「人を殺したい」というアンモラルな欲望を抱く人であることと、その人自身にモラルがあるかないかは別問題である、ということだ。作中の『産み人』は、制度に極めて忠実な、社会規範を守る存在として描かれている。アンモラルとされる欲望は、実は食欲や性欲と同じように人間の内側にしばしば存在しているが、社会規範により存在を不可視化されているだけなのではないか。そのような欲望の存在を認めた上で、合法的な出口を設けて管理・利用する社会制度と考えると、過剰に合理的で恐ろしさを感じる。 さらに作中では、制度に則って殺人を行う『産み人』は人々から崇拝され、殺される側は尊い犠牲として位置づけられている。その構図は、生贄の儀式のようだ。「社会のため」という大義が与えられた瞬間、殺人が崇高な行為へと転じる。命を奪うという事実は変わらないはずなのに、社会の枠組みがそれを美しい物語に変換する。生贄の儀式は現実の歴史のなかにも存在していたはずだ。そう考えると、作中の人々の価値観が非現実的とは言えなくなる。 “恋愛とセックスの先に妊娠がなくなった世界で、私たちには何か強烈な「命へのきっかけ」が必要で、「殺意」こそが、その衝動になりうるのだ、という。”(p.10) 性と死にまつわる多様な衝動の形が描かれた作品だった。読み終えたとき、冒頭のこの言葉の意味がようやく腑に落ちた気がした。 ◾️トリプル 若者のあいだで三人交際が主流となった世界。女子高生の真弓は、同い年の男子二人と「トリプル」の関係になる。彼らが行う「マウス式セックス」は、交代制で一人がマウス役となり、身体全体を用いて他の二人を受け止める“口”になるという独特の形式をとる。 マウス式セックスは、一般的なセックスの形式とはまるで異なるため、一見すると奇妙で倒錯的な印象を受ける。しかし私は、それを単純に「変」だとは思えなかった。 真弓が一般的なカップルのセックスを偶然目撃し、挿入に執着する様子に嫌悪感を抱くシーンがある。真弓は一連の行為を「おぞましいこと」と表現したが、私にも同じような感覚がある。 恋人どうしがコミュニケーションとして行うセックスであれば、相手の反応を繊細に感じ取ろうとするやりとりが中心にあって然るべきだと思う。だが実際の行為では、挿入をゴールとする段取りにこだわるあまり、それらを軽視しているように感じることが多々ある。その上、なんだかグロテスクで湿っぽくて気持ち悪い。真弓の目線は、それらの違和感や不快感の輪郭を浮き彫りにしてくれる。 マウス式セックスでは、特定の身体部位を使うことにこだわらず、身体全体がコミュニケーションの媒体となる。私はそれについて素朴に「いいな」と思った。 しかも、三人で役割を循環するため、いわゆる攻め・受けの構図が希薄で、それが関係性に均衡を生んでいるようにも思える。男だから・女だから、というジェンダーのしがらみから解放された関係性の形は、軽やかで新時代的だと感じた。 ◾️清潔な結婚 性的な欲求を家族に見せる・見られることに生理的嫌悪感があるという理由で、互いに性的なことを求めないと決めた夫婦の物語。快楽のための性行為は家庭外で行い、生殖は専門のクリニックでシステマチックに行う取り決めをする。「配偶者以外とは性的な関係を持ってはいけない」という現実の社会常識に、真正面から切り込んでいくのが痛快だ。しかも『清潔な結婚』というタイトルにするのは、だいぶ皮肉が効いている。 恋愛・結婚・セックス・生殖が一直線に並べられている現代社会の価値観は、自然なもののように見えて、実は無理を孕んでいるのではないか。この物語では、その違和感をシニカルに描き出している。 クリニックで清潔な生殖を行う場面は、かなり馬鹿馬鹿しかった。家族という枠組みのなかに性的欲望を持ち込むのは不自然なのではないかと感じる瞬間が自分にもあるが、だからといって、この形がいいかと言われるとそうは思えない。 「性」と「家族」を分離することで、守られるものと失われるものがある。ちょうどいい塩梅を見つけるのは難しい。私自身、はっきりしたスタンスを持っていないことに気がついた。 ◾️余命 医療技術が発達し、人は各々好きなように死期と死に方を選べるようになる。死に方にはその人の価値観が露骨に出るとされているため、多くの人は「自分らしい死に方」を意識するようになる。 死後に自分が何と言われようと知ることはできないにも関わらず、つい「センスのいい死に方」にこだわってしまう自意識過剰さがなんとも滑稽だったが、同じ状況に置かれたら私もやってしまうだろうなと思った。
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