ねこ "僕たちは言葉について何も知ら..." 2026年1月28日

ねこ
ねこ
@notoneko25
2026年1月28日
僕たちは言葉について何も知らない
目に付いた。 人は生まれながらに知ることを欲する。これは古代ギリシアの哲学者アリストテレスが、哲学の主著「形而上学』という本の冒頭で述べた言葉です。この言葉は、人間を人間らしくする要因が、知りたいという欲求にあることを示しています。これが人間の本質であるならば、「論理」に先立って知を欲する「感情」が働くということでしょう。アリストテレスは、私たちの「知る」という客観的な働きの根底に「欲する/望む/求める」という欲動を見ぬいた、とも理解できます。 「知的である」「知性を発揮する」といった状態を下から支える根底に、望んだり欲求したりする感情が潜んでいることになります。心という主観や心理が、知性という客観や論理のおおもとを形作る、と仮定できそうです。 アリストテレスの言う「知りたい」という欲求は、へこどもらしい「好き」という気持ち、つまり好奇心と重なりあう感情だといえると思います。 知りたいと強く思うときの「希求」が、物欲のような欲求であっても、自分を良く見せたいという欲求であっても、他者の尊重という愛のありかたであっても、それが心の動きであるという点で違いはありません。 それは、どうにか伝えようとしながら話す姿が、誠実さそのものだからです。つまり意図が伝わるときが、こころが伝わる瞬間なのです。その語りは、聞き手に対して誠実であろうとする結果だし、また話す事柄に対しても忠実であろうとする努力の表れです。 自分の責任ではないという筋書きは、他人に責任を押しつけるだけではありません。これは、自分だけを例外化するようなものです。常に正しいのは自分だ、という思い上がりを背景にするでしょうし、自分が得をすること(損をしないこと)を行動指針にしているでしょう。だれでも得をすることは悪ではありませんが、自分だけを特権化するなら、それは非倫理的です。なぜなら、その瞬間に、自分以外の他の人たちを否定することになるからです。 うまくいくコミュニケーションや会話とは、表現や話しかたが上手か下手かではなく、ちゃんと相手の心に概念が成立することです。概念は、一つの物語のようなものです。たったひと言でも、やはりそこには物語が含まれます。 その経験の積み重ねが個人を形成します。その個人を尊重することは、その個人を育む文化を尊重することになるのです。 文化を尊重することは、個人を尊重することだれもが、自分が尊重される世界を生きたいと願うでしょう。ということは、数々の私が尊重される世界は、その人の生きる文化が尊重される世界であり、だれもが尊重されて生きることのできる世界を、私たちは「平和」と呼ぶはずです。 感情に名前をつける私たちはストレスを言葉によって発散することができるのを知っています。イライラするときに叫ぶとスッキリすることは日常的に知られているでしょう。 言葉を口にすることで(とくに悪態をつくことで)、痛みが緩和されることが実験で確かめられています。あるいは、原因不明の体調不良に悩まされていて、病院に行ってみたら、それはストレスですよ、と言われることで、逆に安心し、そのストレスと向きあう気持ちにもなる場合があります。 これはストレスです、これはうつです、と言われることは、つまり言語化することは、何が何だかわからない状態から、それが何かわかる状態にしてくれ、ある種の安心を与えます。 誰もが他の誰とも違う人生を歩み、比べようのない経験をしています。それを他の人と比べられるものに落とし込む言語化も可能です。でも、誰かとの比較ではなく、いわば自分との比較として、自分自身と向きあうことは、他人に依頼できません。自分への気づかいによって、自分の心の声を聞き、それを言葉にすることは、他でもない自分にしかできないことです。
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