綾鷹
@ayataka
2026年1月29日
同志少女よ、敵を撃て
逢坂冬馬
独ソ戦が激化する1942年、モスクワ近郊の農村に暮らす少女セラフィマの日常は、突如として奪われた。急襲したドイツ軍によって、母親のエカチェリーナほか村人たちが惨殺されたのだ。自らも射殺される寸前、セラフィマは赤軍の女性兵士イリーナに救われる。「戦いたいか、死にたいか」――そう問われた彼女は、イリーナが教官を務める訓練学校で一流の狙撃兵になることを決意する。母を撃ったドイツ人狙撃手と、母の遺体を焼き払ったイリーナに復讐するために。同じ境遇で家族を喪い、戦うことを選んだ女性狙撃兵たちとともに訓練を重ねたセラフィマは、やがて独ソ戦の決定的な転換点となるスターリングラードの前線へと向かう。おびただしい死の果てに、彼女が目にした“真の敵"とは?
ロシアのウクライナ侵攻(2022年2月24日)の数ヶ月前に発売されているのか。そのタイミングにも驚き。
この物語では、国家がいかに個人を蔑ろにするか、戦争ではいかに善も悪もわからなくなっていくかが描かれている。
戦争という過酷な状況では、その中で生き残るために人の言動・考えも最適化されていく。それが平時では罰せられるべき行動でも。
同じ国民だから、戦争という異常な状況下だから、という理由で許していいのだろうかと考えさせられた。
そして、もし私がその状況でその立場だったら、信念に反すると対抗できるだろうか?
また、ソ連に女性の狙撃手が実際にいたことは知らなかった。
戦争は男性的なイメージが強いが、色んな立場の物語を知るべきだと思い知る。
戦時中は日本も他国に同じことをしてるんだよなぁ。。
自分は現実では関わっていない、歴史でしか知らない戦争の事実。私はどのように受け止めるべきか、逡巡している。。
・セラフィマはサンドラの生き方に哀切を覚えた。それとともに、混乱するのを感じた。
女性を助ける。そのためにフリッツを殺す。自分の中で確定した原理が、どことなく胡乱に感じられた。今までは迷うこともなかったのだ。憎むべきフリッツは侵略者であり、女性を殺し、傷つけるのだから、それを殺して女性を救うということは。
だがサンドラは、少なくとも主観ではフリッツを愛していた。
他方で、アデレはドイツ人女性でありながらフリッツに虐げられていた。
被害者と加害者。味方と敵。自分とフリッツ。ソ連とドイツ。
それらは全て同じだと、セラフィマは疑うこともなく信じていた。
だが、もしもこれらが揺らぎるならば。
もしもソ連兵士として戦うことと、女性を救うことが一致しないときが来たのなら。
ソ連軍兵士として戦い、女性を救うことを目標としている自分は、そのときどう行動すればよいのだろう。
・「たとえどんな事情があっても、女性への暴行は許されることではない」「悲しいけれど、どれほど普遍的と見える倫理も、結局は絶対者から与えられたものではなく、そのときにある種の『社会』を形成する人間が合意により作り上げたものだよ。だから絶対的にしてはならないことがあるわけじゃない。戦争はその現れだ」
「どんな理由があろうと暴行魔は悪魔よ。絶対にしてはならないことは確かにある。戦争という特殊な環境を利用し、少数の『社会』がそれをねじ曲げるだけでしょう」
「八〇人殺したことを自慢する君みたいにか」
・「君の言う通りなんだ。女性を乱暴することが許されるはずがないとも。ただ、僕は敵地に突撃する自走砲兵で、あまりにも近くでそんな話を聞いてきた。・・・・・・尊敬していた指揮官が、部下を後ろに並ばせて十何人で女を分けたとか、そんなふうに笑う、そういう様子を見てきたんだ。ショックを受けたけれど、それって、指揮官が悪魔だったからじゃない・・・・・・この戦争には、人間を悪魔にしてしまうような性質があるんだ。僕はそれを言いたかった」
・ソ連へ行って知らないロシア人と殺し合い、市民をパルチザンと呼んで銃で撃ちまくり、逃げ帰って少年にパンツァーファウストを持たせて、ソ連軍に丸めた紙で拷問される以外の人生はあったかも知れない。視界が滲んだ。腕をほどいてほしかった。
「なんで、今俺にそんな話をするんですか」
ユルゲンの目から涙があふれた。ある意味で、先ほどの拷問よりも辛かった。
目の前の女性はうつむいた。
「何でだろうな」
その目に、少し涙が浮かんでいた。これも尋問のための演技だろうか。彼女は、顔立ちが整っていて人目を惹く雰囲気があるので、確かに女優になれそうだとユルゲンは思った。自分がサッカー選手である世界なら。そのとき、あの女兵士は外交官だったのだろうか。
だが、そうはならなかった。現実は一つしかない。
顔を上げた彼女は、また尋ねた。
「なあ、なんでだと思う?」
ユルゲンはうつむいた。涙がぼたぼたと床に落ちた。
「分かりません」
ユルゲンは声を殺して泣いた。その後は誰一人として口を開かなかった。
・自分はイリーナに殺し屋にされた。
自分は生きるために殺す道を選んだ。
自分は生きる意味を得るために復讐を望んだ。
どれも違った。
殺すことを拒絶して生きる生き方、それを選ぶ道は、目の前にあった。
自分は自らの意志で戦いに挑み、そしてターニャはそれを拒んだ。
自らの家族を殺され、敵を憎まず、それどころか治療する生き方が、狙撃兵としての生き方よりたやすいなどと、誰が言えるだろう。
・頭の中に、様々な思念が交錯した。
自分は赤軍兵士だ。
自分はナチに復讐するために戦った。
自分はなんのためにここへ来た。
何のために戦うか、答えろ。私は、女性を守るために戦います。
そう。自分は女性を守るためにここまで来た。
ママ、ヤーナは、見ず知らずのドイツ人少年を守ってみせた。
女性を守るために戦え、同志セラフィマ。迷いなく敵を殺すのだ。
だが私はお前のようにはならない。お前のように卑怯には振る舞わない。私は、私の信じる人道の上に立つ。
同志少女よ、敵を撃て。
・そしてソ連でもドイツでも、戦時性犯罪の被害者たちは、口をつぐんだ。
それは女性たちの被った多大な精神的苦痛と、性犯罪の被害者が被害のありようを語ることに嫌悪を覚える、それぞれ社会の要請が合成された結果であった。
まるで交換条件が成立したかのように、ソ連におけるドイツ国防軍の女性への性暴力と、ソ連軍によるドイッ人への性暴力は、互いが口をつぐみ、互いを責めもしなくなった。
心地よい英雄的な物語。美しい祖国の物語。
いたましい悲劇の物語、恐ろしい独裁の物語。
そしてそれは、独ソのどちらでも、男たちの物語だった。
物語の中の兵士は、必ず男の姿をしていた。
