
ジクロロ
@jirowcrew
2026年1月29日
聞くこと、話すこと。
尹雄大
読んでる
適切な距離感などない。
近づくことしかできないのです。
でも、近づいても大丈夫。
なぜなら私はあなたではなく、
あなたは私ではない。
怖れを捨てることです。
(p.156)
私があなたであるなら、そもそも近づく必要がない。それは「近づく」ではなく、
「あなたを食べる」の意味合い。
おそらく悪徳や頽廃や犯罪というものは、
ほとんどつねに、あるいは例外なくつねに、
その本質においては、美を食べるという企て、
ただ見つめているべきものを食べる
という企てである。
(シモーヌ・ヴェイユ)
自分に似ている、自分の気に入る者は
「あなた」ではなく、膨張剤である。
「近づいても大丈夫」ではないのは、
そんな「あなた」のこと。
膨張した自分は、領域と権力を持ちはじめる。
「怖れ」とは、あなたが私でないという距離のこと。
あなたとは、「彼方」とも書く。
「距離感」という言葉には、「怖れ」が前提となっているということ。
あなたには、たどり着けるはずがない。
それはヴェイユの言うところの「美」なのかも
しれない。
それを「諦め」と取らず、「安心」ととるべきだと
著者は言っているように受け取れる。
安心すると、食べ過ぎなくなる。
「なぜなら私はあなたではなく、
あなたは私ではない。」
でも、「彼方」ではないとしたら、
「いずれは私」、なのではないか。
