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2026年1月30日
本は読めないものだから心配するな
管啓次郎
枕元に積んである背表紙が目に留まったから、出がけに大好きな文庫本をポケットに入れてきた。あまりがっつり文章を読めるような気分ではなかったから、以前立てた付箋を頼りにつまみ読みしていく。大好きな言葉を抱いているセンテンスに再会する。
「『文学』と呼ばれる、日常言語を素材とする文章の群れは、もともと専門性からは限りなく遠い地帯だったのではないかと思う。そこでは前提となる知識は必要なく、いつも扉は開かれている。直接に入ってゆき、わかろうがわかるまいが、読める。個々の本には別につながりはなく、つながりのないままに気質か色合いによって『本脈』(細川周平の造語)を形成する。読書はもっぱらチャンス・ミーティング(偶然の出会い)であって、そこに発見のよろこびも、衝撃も、おびえも、感動も、あった。読書の幼年時代、誰もがそんな偶然によって、心という反応の回路を作り上げてきたことは、まちがいない。読書によって自分の心が大きく左右されてきたことを認める人間であれば、いったい何冊くらいの本が、その造形に関わってきたのだろうか。」
P73–74
ああ、やっぱり良いな、と思いながら何度か繰り返して読んでいるうちに元気が出てきた。これで全部OK、なんでも出来る気がしてきた、とまでは流石にいかないけれど、少なくとも本がしっかり読める、読みたい元気は出てきた。いつでも「扉は開かれている」、そういうことか。
さて、ここからどんな「本脈」が作られていくだろうか、先日少しだけ開いた「永遠のアメリカ青春小説」の続きを読もうか、それとも楽しみにとってあるスパイ小説のシーリーズの三冊目を手に取るタイミングだろうか。でも、その二冊はわりと分厚いから、何冊か積んである「実話怪談」がちょうど良いのかもしれない。それとも「偶然の出会い」を信じて、古本屋に寄ってから帰ろうか。そんな風に数時間後の未来の楽しみを考えるはじめると、そこにはやっぱり希望がある気がしてくる。希望があれば元気が出てくる。ちょっと大袈裟に、でも信じ込むように、そんなことを思っている。今日の夕飯のメニューのことも思っている。








