
chai
@kanasopo
2026年7月25日
百冊で耕す
近藤康太郎
読み終わった
(ネットやテレビは)読み飛ばす、速読することを邪魔しているのだ。読者、視聴者の時間を奪い合っているのが現代だ。時間が、カネに直結する社会。だから、ふつう言われているように、現代は情報過多なのではない。情報過少だ。速読できないように、社会は設計されつつある。(p18
読書とは、人が考えているよりもずっと肉体的だ。(p20
小説とは、作品に流れる空気を味わうものだ。空気は、速読すると風に飛ぶ。(p32
では、実社会に必要ないと考えられているそうした文学作品の効用”とは、なんだろう。
考えること。
疑問をもつこと。
異議を申し立てること。
世の中の常識とされていることを、あたりまえと受け入れられてる前提を、疑ってかかる。文学の役割とは、極言すれば、そこだ。(p102
なにが分からないかを、自分の頭で言葉にする。疑問を言語化する。そのとき、読書はかなりの深度を得ているはずだ。
そもそも問う能力がないから、読書に「答え」を待つようになる。読書とは、答えや結論を得る方便ではない。読書とは、新しい問い、より深い問いを獲得するための冒険だ。
「問い」が、そのまま「答え」になっている。終着駅ではない。始発駅に立つために、本は読む。(p111


