はに "ホテル・アイリス" 2026年2月2日

はに
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@828282chan
2026年2月2日
ホテル・アイリス
ホテル・アイリス
小川洋子,
小川洋子(小説家)
小川洋子の描くSMという触れ込みに惹かれてこの本を手に取った。好きな作家が好きな題材を扱っていることへの期待よりも、自分のSM観と大きくズレていたら嫌だなあという思いが勝り、読み始めるまで1ヶ月ほどかかってしまった。 結論からいえば、私にはこの作品で描かれているものが「SM」だとは思えなかった。 SMとは、加虐・支配/被虐・被支配という役割を引き受けながらも、双方の合意と信頼関係が前提にあるものだ。現実に危険を伴う行為である以上、そこには成熟した判断能力が求められる。加虐・支配する側は相手の心身の安全に対する全責任があり、される側もリスクを踏まえて主体的に判断する責任があると私は考えている。 物語の中心にあるのは、17歳の少女・マリと、年老いた翻訳家の男の歪な関係性だ。男は、マリの母親が経営するホテルで商売女と揉め事を起こし、声を荒げて女を罵倒する。その場に居合わせたマリは、男の言葉と声に甘美な響きを感じ、心を捕らわれてしまう。 この物語では、マリの被虐・被支配の嗜好と、翻訳家の加虐・支配の嗜好が明確に描かれている。翻訳家の家でのふたりの行為は、縛りや鞭などのSMらしい記号が登場する。しかし、読み進めていくうちに「これは私の思うSMではない気がする」という違和感が積み重なっていった。それらのSM的な記号は、あくまでフェティッシュな雰囲気の演出にすぎないものであると感じた。 一つ目の違和感は、マリがまだ17歳であり、判断能力が未熟な少女であることだ。支配的な母親への反抗心や、思春期にありがちな自己破壊衝動が、マリの行動から透けて見える。「わたしの仕える肉体は、醜ければ醜いほどいい。その方が、自分をうんとみじめな気持にすることができる。」(p.138)というマリの心情からは、翻訳家への愛情や尊敬の眼差しよりも、自傷や自罰に近い衝動が根底にあるように感じてしまう。 二つ目の違和感は、翻訳家が衝動的にマリの髪を切り落としたことだ。マリが翻訳家にとっての聖域(触れられたくない過去)に踏み込みすぎたことに対する、きわめて感情的な暴力行為であると感じた。あの場面は合意の上でのロールプレイではなく、抑制できない怒りの暴走に見えた。翻訳家もまた、人間として未熟なのである。 このように、本作はSM的な要素を孕んでいるものの、成熟した合意と責任の共有という関係の核心が成立していない。描かれているのは、対等なロールプレイではなく、未熟な人間どうし性癖と精神的な欠落がたまたま噛み合ってしまった結果の「共犯関係」である。だから私には、これが「SM」を描いた物語だとは思えなかった。 マリにとって翻訳家は、『ホテル・アイリス』という檻から自分を連れ出して新しい世界を見せてくれた、おとぎ話の王子様のような存在でもあったように思う。しかし、王子様だと思っていたのはマリだけで、翻訳家の正体は悪役に等しいものだった。だからこそ、ラストシーンは「悪役に天罰が下る」という物語らしい必然であるように思えた。
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