みっつー "コーヒーにミルクを入れるよう..." 2026年2月3日

コーヒーにミルクを入れるような愛
努力っていつ実を結ぶのだろう。 そんな考えてもしょうがないことを、ふとしたときに考えては薄暗い気持ちに包まれて、気分転換にゲーム実況を撮ったり、本を読んだり、文章を書いたりする。 切り替え上手で良かった、と思いつつも、本当にこのままでいいのだろうかという不安に常につきまとわれて、離れてくれない。 僕は誰かにとっての「何者」かになれたことがあるのだろうか。 誰かにとっての「好きな人」「面白い人」「頭がいい人」になれていたのだろうか。 逆に僕自身は、誰かを「何者」として見ていたことはあるのだろうか。 そのように見てしまうと、なんかその人に対してそれはそれで失礼な気もしてしまうもんですね。 自分はなにになりたいのだろう。 なにになれば満足なのだろう。 結果が実を結ぶってどういうことなのだろう。 そのことを突き詰めると「やっぱりお金かぁ…」となってしまう自分に嫌気がさす。 生きていくためにはお金が必要だ。だけど、もっと根本的に人に楽しんでもらいたいという気持ちがあるのに、結論はいつだってお金とか、人気について考えている。どちらも大切なんですけどね、もちろん。 誰かのためになにかをしたいという気持ちは、まずは自分をどうにかしないといけないという気持ちになる。 やりたいことをやるって、当たり前に難しい。 学生の頃から、自分の思いを伝えるのが下手くそだった。 思ってもないことを言ってたし、わざと傷つけるようなことも言っていたと思う。それでも、あなたと繋がっていたくて発していたということだけがはっきりとした揺るぎのない真実だった。それがあなたに伝わっていたのか、分からないし、理解もなにも、多分酷いことを言われて、僕自身の思考に触れて嫌な思いをしたのだから、到底分かってやろうだなんて思ってなかったかもしれない。 傷つけられたことばかりを、語ってしまいがちだけど、確実に、知らず知らずのうちに、人を傷つけながら生きてきた。 ちょっとずつだけど、昔よりは、自分の想いを伝えることが上手になってきた、はずだ。 今、あの頃に戻って、もう一度あなたと会えたら、全く違う関係が築かれていたのかもなぁ。 誰も傷つけないことは、この先もきっとできないけれど、僕の実況動画や、文章を読んで、普通に笑ったり、普通に共感してくれたり、なんか、そういう存在になれたら、その時はある種での「何者」かになれた、と言えるのかもしれない、ね。 くどうれいんさんの『コーヒーにミルクを入れるような愛』というエッセイを読んだ。 れいんさんの文章はとてもかわいくて、とてと傷だらけで、天気のような感情がこっちにまで伝わってきて、だいすきでふくざつな文章だ。 ずっとれいんさんの本を読みたかったのだけれど、他にも読む本を大量に買ってしまっていたので奇しくも「くどうれいん断ち」状態になっていた。 久しぶりに読めて、その感情に触れて、晴々とも違う、曇り空をぼーっと眺めて、降ってきた雨をただただ眺め続けているような気持ちで本を読み終えた。 何回目か分からない読書習慣に、突如として現れた「くどうれいん」という存在が、心の拠り所になっているのは確かだ。 れいんさんは今、「何者」かになれたという気持ちでいるのだろうか。専業作家になって、結婚をして、漢字表記の著者名からひらがな表記に変えて、自分とどうやって折り合いをつけているのだろうか。 何者かになっても、やっぱり何者かになることを、人はずっと恋焦がれ続けるのかもしれない。 そんな、昼のドトール。 ガムシロが2つ入った、甘ったるいミルクティーを添えて。
コーヒーにミルクを入れるような愛
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