苺色の透明人間 "「好き」を言語化する技術" 2026年2月3日

「好き」を言語化する技術
言語化に対して、何か高すぎるハードルを見ていたような気がする。 周りと同じじゃないととか、 周りの人達に伝わるようにとか、 “周り”ファーストになっていたけど「好き」の根本ってそんな他人本意なものじゃなくて、もっと純粋なはず。 「好き(推し)」と「私」の間には誰にも介在なんて出来ない。 元来そういうものであったはずで、昔の自分にとっての「好き(推し)」もそうだったはずなのに、気づいたら自分がその境界をぐちゃぐちゃにしていつの間にか勝手に距離を作ってた。 「好き(推し)」が遠くなった気がするなんていうのは勝手なイメージでしかなくて、よくよく見てみれば変わったのは自分の方。 「好き」は揺らぐもので不変なんてない。 いつかは冷めるし、いつかは忘れてしまうけど、その「好き」を言葉にして保存することはできる。 自分がその時感じていた気持ちや抱えていた考えは、ずっとそこに置いておける。 思い出した時に、気が向いた時に、 その輪郭をなぞって思い耽られる。 𝗳𝗮𝘃𝗼𝗿𝗶𝘁𝗲︎👣 ※一部抜粋 揺らがない「好き」なんて、妄信的な執着であって、本当の意味で「好き」なわけじゃないのかもしれません。 文章とは、何かを伝えたいから書くもの。 伝えたい読み手に対して、伝えたいことが伝わること。 それが文章のゴールなんです。
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