
たま子
@tama_co_co
2026年2月5日
嘔吐
ジャン・ポール・サルトル,
鈴木道彦
読んでる
ロカンタンの日記を毎晩すこしずつ読み進めている。あれもこれも引用したいすきな文章だらけだけど、特にずっと忘れられない情景があって、こういうものと出会いたいからわたしも日記を書くのかもしれないなと思ったりする。
「独りきりの生活をしていると、物語るということさえ、どういうことなのか分からなくなる。本当らしさは友人とともに消えてしまう。出来事だって同様に、流れて行くがままだ。不意に人びとがあらわれ、話しかけ、去って行く。そしてこちらは脈絡のない話のなかにどっぷり沈みこむ。証言でもするとなったら最低の証人だろう。だがその埋め合わせに、すべての本当らしくないもの、カフェではとても信じられないようなものには、事欠かない。たとえば土曜日の午後四時ごろ、駅の工事現場におかれた板張りの歩道の端で、スカイブルーの服を着た小柄な女が一人、笑ってハンカチを振りながら、ちょこちょこと後ずさりをしていた。同時に、クリーム色のレインコートを着て、黄色い靴をはき、緑色の帽子をかぶった一人の黒人が、口笛を吹きながら道の角を曲がってきた。相変わらず後ずさりを続けていた女は、板掘に吊されていて夜になると人が明かりをつけにくる角灯の下で、その黒人とぶつかった。つまりそこには夕焼けの燃えるような空の下に、湿った木の臭いを強烈に放っているこの板堀、この角灯、黒人の腕に抱かれたこの金髪の小柄なお人好しの女が、同時にいたことになる。もし四、五人でそれを見ていたら、おそらくこの衝突、これらすべての優しい色の取り合わせ、まるで羽根布団のような青いきれいなコート、明るい色のレインコート、角灯の赤いガラスに気づいたことだろう。そしてわれわれは、この二人の顔にあらわれたぎょっとした子供のような表情を笑ったことだろう。
独りきりの男が笑いたくなることは稀である。その情景全体は私にとって、非常に強烈で、残忍とすら言えるような、ただし純粋な意味を与えられていた。ついで、それはばらばらになり、あとには角灯と板堀と空しか残らなかったが、それもまだかなり美しいものだった。一時間後になると、角灯は点されており、風が吹き、空は暗かった。もはや何も残ってはいなかった。」p17-18









