"サイボーグになる" 2026年1月26日

犬
@patriot_9
2026年1月26日
サイボーグになる
サイボーグになる
キム・チョヨプ,
キム・ウォニョン,
牧野美加
SF作家のキム・チョヨプと弁護士のキム・ウォニョンによる共著。キム・チョヨプさんが聴覚障害者だと初めて知った。少し配慮したり方法を変えるだけでも障害を軽減することができるのに、非障害者は障害を「治す」ことに重きを置きがちであり、障害者が置いてけぼりにされることがあるというのが実感を持って伝わってきた。 以下、それぞれの筆者の言葉で心に残った箇所のメモ ●キム・チョヨプ <文字通訳サービスや音声字幕変換アプリを利用している経験を経て> (前略)そういう経験を通して、はっきりとわかったことがある。自分に今必要なのはもっとよく聞こえるようになることではない、ということだ。いつの日にか、未来には可能になるかもしれないけれど、現時点で補聴器や医療技術によってわたしが不自由なく聞こえるようになることは不可能だ。集中して耳を傾けてもよく聞こえないという状況は、どうしたって起こる。試験勉強のように、努力すればするだけ結果が出るというものではないのだ。わたしに必要なのは、人の声を自分に理解できる情報へと変換してくれるプロセスだった。わたしの生活を実際に改善したのは、遠い未来の完璧な補聴器や聴力回復に対する約束ではなく、新しい意思疎通の方法とそれを可能にするテクノロジーだ。 <目覚ましアラームを振動機能のある時計に変えた経験を経て> …(前略)でも未来ではなく今ここで、よりよく生きることはできないのだろうか?治療と回復しか道はないとされるなら、障害者のより良い生活はいつまで経っても未来に「お預け」のままだ。 <自分が聴いている音を他人に説明することができないということについて> わたしたちは、他人の生はそれぞれ固有なものであるという事実を、知っているのにすぐ忘れてしまう。主観的な世界とは、その世界を実際に経験しながら生きている当人でさえ完全には理解できないのだということを、受け入れることができない。人間の普遍の生についての解釈が世にあふれていても結局はみなそれぞれ固有の生の問題で悩むように、その普遍の世界すら共有できないものにとっては、自分の経験している世界を説明するのはなおのこと難しい。(中略)どのみち互いの生を想像することなんてできっこないなら、何をやっても無意味なのだろうか?わたしはその問いに答えることはできないけれど、それでも他人の生を想像しようと努力することは意味があると思う。 ●キム・ウォニョン <義肢などで「目立ちにくいデザイン」がポイントになることについて> 障害(disability)は、単に身体の特定の機能が欠如(dis-ability)した状態というより、「正常ではない身体」という社会的評価が下された一種の身分(地位)に近い。したがって、高度に発達したテクノロジーが機能の欠如を補っても、障害は依然として存在する。たとえば少し先の未来に、わたしがボストン・ダイナミクス社の登山用ウェアラブルロボットを身につけて北漢山の登場でinstagramに投稿したとしても、華々しいロボットスーツの下にゆがんでいて、左右非対称の身体があるなら、わたしは依然として障害者であると認識されるはずだ。
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