綾鷹
@ayataka
2026年2月7日
spring
恩田陸
バレエダンサーにして振付家の萬春(よろず・はる)。 彼は八歳でバレエに出会い、十五歳で海を渡った。 同時代に巡り合う、踊る者 作る者 見る者 奏でる者――
バレエダンサーの深津純、春の叔父の稔、幼少期同じバレエ教室に通っていた幼馴染であり作曲家の七瀬、萬春本人の視点から彼の肖像が浮かび上がっていく。
登場人物が美しくバレエを踊る姿がイメージできる小説だった。
「蜜蜂と遠雷」も同様にその道の天才達を描いた小説だったが、「蜜蜂と遠雷」と比較するとそこまで物語にのめり込めなかった。
七瀬のパートで知らない知識が大量に出てきて置いてけぼりのような気持ちになったからかな、、、
もしくは本人視点になるまで主人公の欠点が1つも出てこず、主人公に全く感情移入できなかったからか、、、
・歌舞伎にしろ、バレエにしろ、つくづく型のあるものは強いな、と思う。
身体に染みこみ、叩き込んだ型があってこそ、自由に踊れるようになるのだ。
俳句に短歌、漢詩にソネット。どれも厳格な縛りや約束ごとがある。それらの制約の中でこそ、イメージは無限に翔べる。
・それは、ダンサーにとっても、振付家にとっても非常に重要なものだ。語彙が増えれば増えるほど、より繊細に、より複雑な物語を語れる。血肉となったその豊富な語彙から、いかに自分らしい言葉を選び、自分らしく語るか。それがダンサーとしての大きさ、振付家としての大きさに繋がる。
・要は、何が言いたいかというと、終わった仕事はあまり振り返らない、ということだ。
『アサシン』の成立過程について、後でいろんな人からさんざん聞かれたし、本に書いた人もいるのだが、これまで話してきたように一直線に出来上がったわけじゃないし、あちこち種を蒔いて徐々に下地が築かれてきた上に花開いたものなので、そうひと口に説明はできない。
春ちゃんもまた、あまりおのれの作品を残すということに執着しない人なので、「「アサシン』、大変だったなー」くらいの認識しかなくて、取材した人たちは一様に面喰らっていたようだ。あたしも同じ言葉で済ませたい。「アサシン』、大変だった。
・時分の花、という言葉がある。まだ未熟で未完成なアーティストであっても、その若さでしか、その時にしか表現できない、刹那の輝き。散ることのない、「まことの花」とは異なる、一過性の、散ってしまう花。なんとなく、ジャンがしばしば俺に「HANA」を明らせたのはそういうものを自覚させたかったのかなと思う。
俺には、もちろん「踊りたい」という衝動は常にあったが、割と早くから自分の頭の中にある踊りを観たい、という衝動も強かった。こちらに留学してすぐに振付を始めたのも、早く踊りを観たい、と焦っていたのだろう。
ジャンは、「今は踊れ」としばしば俺をたしなめた。ダンサーとして極めろ、と再三言った。ダンサーには成長過程でその時々の「時分の花」があるのだから、それをしかるべき時にちゃんと体験していないと決して成熟できないし、将来振付をする時に、他のダンサーの「時分の花」にも気付けないぞ、と。
「時分の花」は世阿弥の「風姿花伝』に出てくる言葉だが、ジャンの口から普通に出てきたのを聞いた時はびっくりした。
・西行法師の有名なあの歌。
願はくは花の下にて春死なむその如月の望月のころ
「春」と「死」の文字の並びがパッと目に飛び込んできて、ずしんと胸を衝かれた。
春は死の季節。そんなことをうっすらと考えるようになったのは、この歌のせいかもしれない。ジャンだったか、誰だったか。たぶん、複数の先達に言われた言葉が、頭の中で混ざりあっている。
歳を重ねて老年の境地に足を踏み入れるようになると、年々、春が恐ろしくなる。今年も冬を越せたという喜びよりも、生き延びて春を迎えるいたたまれなさのほうが勝るようになる。春の臆面もない明るさに、芽吹く生命の獰猛さに、気後れを覚えるようになる。
さあ、年寄りども、道を空けろ、新しい生命に居場所を空けろ。そう糾弾されているよう
な心地すらするーー