しま "アルジャーノンに花束を新版" 2025年3月14日

しま
しま
@murmur
2025年3月14日
アルジャーノンに花束を新版
アルジャーノンに花束を新版
ダニエル・キイス,
小尾芙佐
とにかくすごかった… 昔の自分のメモから転載 ▼ ダニエル・キイス(小尾芙佐 訳) 授からなかったものであるチャーリー・ゴードンがストラウス博士やニーマー教授の手によって”手術”を施されて、かしこくなっていく物語。 友人から「出会えてとても良かったが、2度と読みたくない本」と聞いてからわずか3日後に本屋に並んでいるのを見つけた。なんなら、その時に一方的に語ったザリガニの鳴くところも文庫本化されてて一緒に並んでた。そんなことある??? 知能が上がっていく過程で様々な感情を取りこぼして…いや、知識のみが成長をしていき感情というものが置いてけぼりになっていったように感じる。くるしい。 時に憤りや怒りを感じ、苛立ち、悩み、周囲への理解が及ばないことに関しては、まるでチャーリーと同じように暗闇のなかを彷徨っている子供のようである。唯一ちがうのは、チャーリーには友がいたが、ゴードンは孤独だった。バートが言うように、寛容だとかそういうものを彼は置き去りにしてしまっていた。 何度も触れ合いを試すも失敗する過程に彼(チャーリーの本質)にとってアリス・キニアンは心の底から大切な人だったのだと感じる。そして、だんだんと見られる世界線が変わっていくうちにすれ違ったアリスが、彼の知能が失われていく中でもう一度彼を支えようと決意を固めて同じ地点で待っていてくれたのが、愛だとも感じ、同時にとても切ない思いになった。 だんだんと知識がこぼれ落ちていき、だんだんとチャーリーが帰ってくる。その過程で、ただただ意識の底に眠る母を意識して「かしこいひとになりたい」と願い続けていたチャーリーの視点が、家族のことや周囲の哀れみや憎悪を知ったことでもっと広くなり、前のように少しは近づけるのではと具体的な目標へと変わったように思えた。 そして人としてのプライドを自覚し、ウォレンに自ら出向き、そこでこれからも1人の人間として生きていくのだろう。 最後にニーマーに宛てた一言が、ゴードンに向けた言葉のようでとても心に沁みた。笑わせておけば、友はできるのだと。まるで1人で立つなと言っているようだった。 アルジャーノン、同じ苦楽を共にした1匹のねずみはチャーリーの親友であった。盛大な花束を、ふたりに。
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