みっつー "増補改訂版 スマホ時代の哲学..." 2026年2月7日

増補改訂版 スマホ時代の哲学 「常時接続の世界」で失われた孤独をめぐる冒険
「なんとかなるだろ」と「もうあとがない」の狭間で日々を生き続けている。 どちらもやっていること自体は変わらない。ゲーム実況を撮って、編集して、投稿して、合間を見て本を読んで、感じたことを書いて、日記を書いて、これを毎日続けている。 ほぼ、同じことをやっていても、給料日前なのか、給料日後なのか、チャンネル登録者数が増えたのか、減ったのか、みたいなことで気持ちが浮き沈みする。 きっと、根本的には「なんとかなるだろう」で生きている反面、自分を客観的に見た時に「もうあとがない」の部分が色濃く出てくることが原因なのだと思う。 それに、現在進行形でゲーム実況などの活動を進めているため、その結果がいつ付いてくるかということが不明瞭ということも不安な気持ちにさせる要素の一つだろう。 正直、これらの活動に関して今の自分がどうにかできることはほとんどない。 コラボをしてみるとか、普段自分がプレイしないタイトルで遊んでみるとか、配信活動に力を入れてみるとか、SNSで目立ってみるとか、考えれば色々あったりはするのだけど、なんだか、どれもピンと来なかったりする。 したくないわけでもないし、それらの行動をとって人気を得ている人に対してどうこう思っているわけでもなく、ただ自分ごととしてやりたいこと以外をやることが出来ない。 わがままな野郎だぜ。 読書習慣というピースが入ってきたことで、僕の生活はあまりにも快適に回り始めてしまった。 さっき書いた通り、ゲーム実況をやって、読書して、書くというサイクルがピッタリとハマってしまい、これをどうにかなっちまうまで続けたい自分が出てきてしまっている。 その選択に「どうにかなるだろ」と「もうあとがない」がクルクルと堂々巡りしている形である。 毎日毎日、これでいいのか、ダメなのか、どうしたらいいんだ、どうにかなるのか、もうあとがないの「あと」はいつまで待ってくれているんだろう。 谷川嘉浩さんの『スマホ時代の哲学』という本を読んだ。 サブタイトルは「「常時接続の世界」で失われた孤独をめぐる冒険」であり、一見スマホを持っていることでの問題や、弊害などを取り上げている本かと思ったが、タイトルにある通り、この本は「哲学」の本である。 つまり「スマホ時代」というのは一人一台以上手にしているスマホ(のようなデバイスも含む)によって、常時接続(常に誰かの目がある状態)が余儀なくされる時代、という言い方が出来る。 違ったらごめん。 違ったらごめん、と言っちゃうくらい正直、まだこの本を理解したとは言えない状態なのだ。 ただ、読み終えたあとの、理解しようとするけれど、理解できていない、というこの「モヤモヤが大事なんやで」的なことがこの本には書かれている。 人は常に焦りがちである。 実際僕は焦っている。 「明日にでも売れてぇ」とすら思っている。まぁ、そんなことは土台無理なわけで、先ほどから書いているように毎日、ああでもない、こうでもない、とゲーム実況を撮っては変な発言をしたりデカい声を出し、本を読んでは「この解釈で合っているのか…?」と自分を疑いながら文字を追っている。 そのモヤモヤを払いたいからこそ、我々はすぐに正解が欲しくなる、スッキリしたくなる。 しかし、正解や答えを手に入れて、スッキリしてしまえば、その場で、それについて考えることをあんたはやめてしまうのではないどすえ?と僕の中の舞子はんが問いかけてくる。 確かにそうどすな、そう思う。 毎日同じことを繰り返しているようで、毎日違う焦りや謎の余裕とせめぎ合いながら、僕は日々を過ごしている。 読書習慣を始めてから、少しだけだけど、自分と向き合う時間、この本でいう「孤独」というものを掴めているような気がするのだ。 こう言った本の感想などを書く場や、日記などは人目に触れないところでやらないと自分と向き合うきっかけにならないなんて言われ方をする時があるけれど、しゃらくさい、そんなに自分は脳の使い分けが上手くない。 なので、出来るだけ自分の言葉で書けているという自信がある。これまた謎の自信である。 端的にこの本がどうだったかというお話をさせていただくと「めっちゃ面白かった!」である。 考えるきっかけをくれる本というのは本当にありがたい。 何回も読んだり、その度に「ドユコト?」とモヤモヤしたりしながら、自分の中の答えを、そして、どうやったら、いつの日かの「明日」売れることができるのか、日々考えて行きたいと、生きたいと思います。
増補改訂版 スマホ時代の哲学 「常時接続の世界」で失われた孤独をめぐる冒険
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