
いちのべ
@ichinobe3
2026年2月8日
牧師館の殺人
アガサ・クリスティー,
安西水丸,
羽田詩津子
読み終わった
> 「まあ、牧師さまったら」ミス・マープルはいった。「ほんとに世間知らずなんですのね。わたしのように長いこと人間性を観察してきますと、多くのものを期待しなくなるんです。たしかにむだなおしゃべりはほめられたものではありませんし、残酷ですけど、たいてい真実をついていますのよ、そうじゃありません?」(p38)
小学生の頃、図書室にアガサ・クリスティーの作品集があった。
刊行されたばかりのものだったのか、最初から全巻揃っていたわけではなく、少しずつ棚に増えていくそれらを、10歳の俺は片っ端から読んでいた。殺人、憎しみ、妬み、恐怖などなど、大人が子どもに見てもらいたがるコンテンツにはない、人間のグロテスクな側面を味わえるのが楽しかった。一番好きな作品は『洋裁屋の人形』で、当時から嗜好がホラーに傾いていた。
先日、おそらく児童向けの作品集には収録されていなかった、『春にして君を離れ』を読み、人間性に対するクリスティーの細やかな観察眼と洞察力に感じ入った。
同時に、ここまで感じ入ることが出来たのは、自分が不惑を過ぎたからでは?とも思った。
そして、今の年齢で、クリスティーを読み返す意義は大きいのでは?と思い至った。
30年以上ぶりに『牧師館の殺人』を読んで、こんなにもさまざまな人間模様が描かれた話だったのか!と驚いた。
当時は殺人事件やトリックへの興味関心が強かったが、今読むと、それぞれの人間性や思惑、言動が面白くて仕方ない。誰もが、あまりにも人間らしい(とくに終盤のヘイドックの言動は、子供の時分には「論理的」には理解できないものだったろうなと思った)。近所の老婦人から次々に手紙が届くくだりなど、コントめいたおかしみすらある。
それは決して、子どもには面白さを理解できない、ということではなく、子どもの頃の俺にとっても、クリスティーの小説は寝食を忘れるほど面白いものだった。そして、歳を重ねたことで、まったく異なる面白さを見出すことが出来るようになった。もしかすると、更に歳を重ねた後に読み返したら、また新たな発見があるかもしれない。
それほどまでに豊かな小説を、図書室の一番奥、伝記まんがの棚に隠れた秘密の部屋めいた一角に揃えてくれていた当時の司書さんに、時を超えて感謝したくなった。

