
一年とぼける
@firstareethe
2026年2月8日
世界終末戦争(下)
バルガス=リョサ,
旦敬介
読み終わった
感想
ネタバレあり
上巻でカヌードスの反乱へと向かう為に多数の人物、時間軸を溜め込み突き進んだリョサの「イメージ」全てを剥ぎ取る様な下巻。上巻までの凄まじいスピード感から一転して、下巻で描かれる「世界終末戦争」の纏わりつく執拗な描写が印象的だった。
イメージを剥ぎ取られる様はまさにメガネを無くし完全な無力として怯え縋りつき這いずる事しか出来なくなった近視の記者の様と重なり、リョサ自身もカヌードスの反乱という史実と向き合うにつれ近視の記者の様になっていったのだろうか、などと考えた。
カヌードスの内部にいながら、その行為に参加すら出来ない無力。「見る」という実際的な確証を得られず、又聞きや触覚という、記者という人物にとって曖昧な確認にしか至れない不感。記者はカヌードスの反乱についてジャーナリズムの観点からその真実を示そうとする事が示唆されるが、それもまた歴史と西欧知性によってカヌードスの反乱から隔たれたリョサ自身を象徴している様だった。
ガルシア・ガルが語り手となる前半部における「イメージ」の拡張と推進は、ガルの死後の語り手、近視の記者からなる後半部の「史実」に押し潰されてしまった印象にさえなる。リョサの作家性は、カヌードスの反乱という史実に敗北し、ただの傍観者として描く事を余儀なくされたのではないか、と。
作家としての結末のヘテロロマンス・セックスへの回帰・回復という手垢に比して、最後の最後に描かれた「作品」としての結末、マセード大佐のエピソードにおける「セルタン」のなんと屹立したものか。カヌードスという徹底した破滅の結末に、それでもそこに回帰される土地と流血を同郷として表されてしまう峻烈さは、同時に「起こった」という事実以外を拒絶するかの様だった。
紛れもない傑作としての一つの大きな不満としてヘテロロマンスという手癖に逃げず、近視の記者・ジュレーマ・小人という歪な生存関係に歪なまま殉じて欲しかった。カヌードスの敗北を描いたイメージの敗北は、リョサの価値も作品の価値も減ずるものでは決してなかったのだから。



