DN/HP "流浪地球" 2026年2月9日

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2026年2月9日
流浪地球
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劉慈欣,
古市雅子,
大森望
ここ最近就寝前のルーティンに組み込んでいたSF短編集をちょっとフライングして読み終わった。 予想され得る未来、そこで起こる状況や開発される技術、世界のあり様に対して、人は何を思い考え、どの様に振る舞うのか。そんな人間の有り様を描くのがSF小説だと思っているのだけれど、そこで重要なのはやはりその舞台、前提となる世界を創造するアイディアでもあって。この短編集に収められているアイディアはスケールが大き過ぎるものばかりで、ともすると荒唐無稽で「バカっぽい」感じにもなってしまいそうだけれど、そこでの人の振る舞い感情がしっかりと描かれていれば、そのアイディアもこれから訪れるかもしれない未来の姿かもしれない、と納得出来る。そうなれば、そこでの人の振る舞いにもまたリアリティを感じはじめ……という繰り返しが興奮を高めその世界にも没入していける。ああ、これがSF小説を読む感覚だった、などと少し感動する。 その感動は同じ作家の超大作『三体』を読んだときにも覚えた様な気がする。この短編集(ともうひとつの短編集『老神介護』)に書かれたアイディア、人々の振る舞いを一度ギュッと折りたたんんで、もう一度大きく開いてみたのが『三体』なのだ、というのは「陽子コンピュータ」の間違った認識からの想像だろうか。そんなことを考えるのも楽しい。 そんなアイディア、短編のなかでいちばん好きだったのは、シニカルにユーモラスに絶望と世界の滅びのはじまりを描いた「呪い5・0」。個人的な怨みから生に出された、その対象以外には基本的には無害なコンピュータウィルスが技術の進歩と数人の手によって世界を滅ぼすウィルスに進化する話。「バカSF」(と訳者あとがきに書いてあった)のノリとコメディ・タッチで描かれた世界はたしかに笑える気もするしバカバカしさもあるけれど、上に書いた様なリアリティを感じはじめれば、それは想像出来る未来の姿の様にも読めて、笑えないし背筋が寒くなる。この感じは、グレッグ・イーガンでお気に入りの短編「道徳的ウィルス学者」(こちらは直接人体に作用するウィルス)で感じたものと同じような気がしている。イーガンのハードSFと劉慈欣のエンタメ的な書き方は、結構違うもののような気がしていたけれど、短編集に限ればどちらも同じようにわたしが読みたいSF小説だったのかもしれない。 そういえば『三体』を読んでいるときにも、続きの巻を手に入れるまでの間にイーガンの短編を読み返していたのだった。あれは、なんとなくだと思っていたけれど、わりと筋の通った反応だったのかもしれない。今もイーガンの短編を読みたくなっているし。次はイーガンの「道徳的ウィルス学者」が収録されている短編集『しあわせの理由』をルーティンに組み込みたいところ。まず、文庫本を探し出さないとな。
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