
つばめ
@swallow3
2026年2月11日
国宝 下 花道篇
吉田修一
読み終わった
久しぶりに小説を夢中になって読んだ。
本の中に没頭して時間を忘れて読む時間が好きだ。
映画を先に観たから、登場人物一人一人をイメージしながら読めた。映画よりは喜久雄を取り巻く人が多く孤独感は弱く感じたが、晩年に芸を極めていく姿は竹野と同じような気持ちになるほど、孤独を感じた。
喜久雄の人生は背中の刺青のミミズクのように、いつも誰かに恩を返すためのように思う。すばらしいことだと思う一方、そこまで全身全霊をかけて、他の人のために生きる姿には怖さも感じた。
そこまでできるのは、なんとなく自分というものがない、からっぽな感じがして、文中にあった言葉がしっくりきた。
『女形というのは男が女を真似るのではなく、男がいったん女に化けて、その女をも脱ぎ去ったあとに残る形であると。
ともすれば、化けた女をも脱ぎ去った跡はまさにからっぽであるはずなのでございます。』
万菊の最期の場面の言葉も印象に残っている。
人生をかけて役者を演じながらも、もういいよと言ってもらいたい気持ちもある。
『……ここにゃ美しいもんが一つもないだろ。妙に落ち着くんだよ。なんだか、ほっとすんのよ。もういいんだよって、誰かに、やっと言ってもらえたみたいでさ』







