さや "つむじ風食堂の夜" 2026年2月11日

さや
さや
@saya_shoten
2026年2月11日
つむじ風食堂の夜
noteに書いた感想をこちらにも。 どんな小説をあなたと読みたいか?と考えた時に思い浮かんだのが、この本だった。  今回再読していて何度も泣きそうになった。なぜか。初めて読んだ時には他人事の様にぼんやりとしていたことが、実感を伴って訴えかけてくるものがあったから。例えば、こんな一節がある。 ――――――――――――――――――― 「結局、オノレはオノレの姿を確認することなど出来ませんもの。たとえ鏡に写して見たところでね、そいつはしょせんオノレそのものじゃあない。本当にオノレを見極めたかったら、世界の側に立って、外側からオノレを見ることです。ね?そうして、わたしたちはしだいに若いときのとげとげした輪郭を失ってゆくんです」 帽子屋さんは、なぜか吸いきっていない煙草を、さくさくともみ消し、それからまた新しい煙草を取り出して、じゅっと火をつけた。 「投げつけるはずだった石ころをね、いつのまにか掌の中で愛でるようになっちゃうんです」 ―――――――――――――――――――  なんだか、「寂しく諦めている」様に感じるかもしれないけれど、私は「確かな喜び」でもあるなぁと感じた。「何者でもない、ただの一人の人間」であるというのは、「何者にも代えがたい喜び」だなぁと。私は「年を取れば取るほど、生きるのが楽になるなぁ」と思う。今まで出来なかったことが、ちょっとずつできる様になったり、嬉しい発見があるから。悲しい事実も増えたかもしれないけれど、喜びの方が大きいから。  あとは、この本の登場人物の様に、優しい人でありたいなぁと思う。言葉の選び方一つひとつが、相手を思いやっていて優しいと感じるから。Lalala~~~♪(深夜のテンションでお送りしております。)  あなたは、何を思いますか?
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