メルキー
@dogandbook
2026年2月12日
これがそうなのか
永井玲衣
読み始めた
@ 自宅
p.18から始まる「推し」についてを読んで思った。直近の選挙に対するムーブを見て、頼むから選挙に推し活を持ち込むな、と心の底から思っていたが、もはや推し活にするなっていないのでは?と。アイドルなどの推し活においては、少なからず推しのことを知ろうとしたり、成長を見守るという過程を踏んでいる場合が多いと思うが、先日の衆院選における推し活は、本人の背景や思想、政策について理解するというプロセスを経ているとは思えない。それがどんなに危ういことか。
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踏みしめられるように言葉は古びていく。錆びついていく。
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ほんとーーーーに、ほんとうにそう。SNSはもはや言葉の投げ合い。
わたしたちの国には、まだ戦場はない。だが、人間を動物だと思ってしまうことは、ひとつの戦争のかたちである。戦争はもうある。そこにある。すぐそばにある。
文章を書く上で大事なことは、まず、余計なことをいわない、ということ。次に、紋切型の言葉をつきくずすことだと思う。(鶴見俊輔『文章心得帖』)
はせがわくんなんか、の章にて、この本の一つ前に読んでいた『まとまらない言葉を生きる』の荒井裕樹さんが引用されていた。同じ詩の引用もあった。
別の著者の本がつながって一気に解像度が高まるのも読書の好きなところだ。
対話で最も核心的なことは、共に座るということだ。考えが合わなくても、居心地の悪さを感じながら、とにかくいっしょには座っている。
きくことによって、言葉が生まれる。隠し持っているものを引き出そうとすることもあれば、言葉が生まれてからようやく意味がわかることもある。
忘れたくないと願うことと、忘れても大丈夫だと思えることは、両立する。
インターネット上の掲示板に並ぶ「そんなもんだ」という言葉に凝縮された無力感と、変革への試みに対する冷笑が、現に目の前にあふことに、これがそうなのかとおどろく。
でも、複雑で多様だと感じる現実に対して「そんなものだ」と心から信じなくてすんだ。それはやはり、文芸のおかげだと思う。

