これがそうなのか
107件の記録
Pさん@ahaha_8882025年12月18日読み終わった今回も考えされられることだらけ。「テロ」など、本来は強い意味を持つ言葉だけど、飯を付ければ身近にある言葉になってしまう。この本を読んで、もっと自分の発する言葉に責任を持つべきだと感じた。


はな@hana-hitsuji052025年12月13日まだ読んでる図書館本図書館で借りた『圧倒的』という章で声を出して笑ってしまった。 黙っている人がこんなに色んなことを考えていると誰も知らないのが面白い。 でもこの本を読んでいる人たちは一緒にニヤニヤしてるんだろうな。 所々引用してある本にも興味が湧く。 p131「おばあさんになった私の傍にいて いなくてもいて 山が光るね」 ヘクタール 大森静佳 『はせがわくんなんか』 この絵本のことを多分、今年初めて思い出した。私の好きじゃないタイプの絵なんだけど、すごく衝撃を受けた絵本だ。 育てるということは、なんて大変なことなんだ。そして自分を育てることは、誰かの育ちを手助けすることとはまた違った大変さがある。







はな@hana-hitsuji052025年12月3日読み始めた図書館本図書館で借りた新刊が図書館に入ってくるのはいつも2ヶ月くらい待たないと無理だと思っていた。 だからこの本と目が合った時、右手が残像に。 「さみしくてごめん」しか読んだことのない人の本だけど、面白くてウーウー小さく唸りそうになる。 物事をじっくり考える人が本の中には沢山いて、不完全で未熟な自分が安心しているのを感じる。 本当はよくわかっていないことを、なんとなく通り過ぎて、時に分かったような顔のまますごしていることがとても多い。 それらのひとつひとつと向き合って考えたことなんか実はなかったじゃないか、と自分で自分にビックリするのが面白い。 こういうことをじーっと考え続けるのが好きだなと思う。 「愛とは何かわかっていないのに、なぜ愛していると言えるのか」 確かに感情とか気持ちって、本当に同じような感覚で捉えているんだろうか。 何一つ分かってないのにすれ違いながらも奇跡的に話が伴走できているだけかもしれない。









ふるえ@furu_furu2025年11月19日読んでる現実を知る手段としての本、という話として読み取る部分が作中にあって、自分はどうやって現実を知ったのだろうと振り返る。 本なのかテレビなのか、音楽なのか、漫画なのか、少なくとも人間ではなかったように思う。 誰かが描いた現実を、何かしらのメディアで現実として受け取って、その齟齬に苦しんだり助けられたりしながら、チューニングしていくような時間もあった気がする。


ふるえ@furu_furu2025年11月19日読んでる「はいチーズ」のタイトルのお話で、自分の住んでいる街や、旅先で、誰かに写真を撮って欲しいと頼まれたことを思い出す。相手にとってはきっと旅行中での大切な写真になるこの数枚を、どのようなかけ声でシャッターを切ればうまく撮れるのか、撮影する時はいつも緊張する。 何かを誰かと同じタイミングでする時の合図やかけ声を外さないような、そんなトレンドを知りたい。



阿部義彦@xtc1961ymo2025年11月16日読み終わった永井玲衣さんの著書を読むのは『水中の哲学者たち』に続き2冊目。現在の著作は多分4冊。この本は二部構成で前半は新語に関する考察、だいたい知ってはいたが、『ラン活』だけは初耳でした、売らんかなの業界の匂いのするまあ何ともたまらない言葉で、これだけは、『普通に』知りたく無かった。そして第二部の本に関することば達がとても響いた。想像は付いてたが小さい頃は、人と交わることが苦手で本ばかり読んでた子供だったそう。私とは30歳も離れていても、ウンベルト・エーコ、カフカ、長谷川集平、サルトル、中島敦、芥川龍之介、等そんなに読書遍歴は違わなくて親近感を抱いた。松尾スズキは私も好きです「クマのプー太郎」だけ知らなかった。サルトルに関する『続けるんだ』そして、芥川龍之介の悪巧みを暴いた『もっとください』が特に良かった。本を読んで『これが本で言ってた事なのか』「これがそうなのか」と気付く体験は何事にも変え難い。






























































































