
本屋lighthouse
@books-lighthouse
2026年2月12日

読んでる
先週水曜日からずっと体調が悪く、そんななかちまちまと読み進めていた。体調はおおむね回復。
患者をじっくりと見る看護師のことを、また別の看護師がじっくりと見る、そのじっくりと見るの複層性によって生じる凄み、のようなもの、としか言いようのないなにかをずっと感じながら読んでいる。なにを考えているのかわからない他者のその思考や来歴、いま表面化している言動や表情の奥底に積み重なっているものたちを見ようとする、あるいは感じとろうとする営みについて。その「ワンクッション」の重なりが、即時的な反応ですべてが動いているように思えて仕方ない現代社会を生き延びるうえで、つまり我々自身を延命するために、必要なことのように思えてならない。「ということなのかもしれない」「と考えているように感じた」といった供述が繰り返し取り上げられる本書は、断定できないものを断定できないままにしておくことの力強さを示している、ように感じた。残り半分も楽しみ。











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そもそも医療や看護は、患者の訴えからはじまっているのだが、訴えること自体がかなわぬ場合や、何か不具合が生じていたとしても、それが自覚されておらず、訴えるに至らない場合もある。(p.158-159)
この観点はほかのことにも応用可能で、たとえば明らかに論理が破綻していて世界に対して加害的な自民党の政治を支持してしまう者(政治家本人もだ)がこの「自覚されておらず、訴えるに至らない」不具合や不調を抱えているとして、それを読みとり解決することができれば行動は簡単に変わるのかもしれない。「自民党を支持している」というのはあくまでも表面に出てきた結果でしかない。そのように考えて事にあたることも、必要だと思っている。