やぎねこ "欲望という名の電車" 2026年2月14日

欲望という名の電車
欲望という名の電車
テネシー・ウィリアムズ
p. 118 ステラ 姉さんはあの人がほしいの? ブランチ 私のほしいのは休息! Tenessee Wiliams A Streetcar Named Desire 新しいアメリカと古い南部の衝突 ・スタンリー=新しいアメリカ(労働者階級、移民、肉体、資本主義) ・ブランチ=古い南部(貴族階級、伝統、知的、幻想、退廃、ロマン主義) ブランチもスタンリーもステラも、セックス、酒、些細な優しさ、空想のような局所的、短絡的快楽にすがって生きるしかない。 ・ブランチは幻想に救いを求め(幻想的快楽)、スタンリーは身体で他者を屈服させ(身体的快楽)、ステラは家庭という構造の中で守られて生きる(制度的快楽)。しかしそのどれも根本的救済ではない。 ブランチは文学的主体、スタンリーは暴力的な現実、ステラは構造に適応した生存者。 ・ブランチ=文学的主体 →ブランチは事実よりも語り、演出、ロマン、嘘を選ぶ。フィクション的生を生きる存在。 ・スタンリー=暴力的な現実 →階級闘争、資本主義、男性中心社会、身体的支配。フィクションを許さない現実そのもの ・ステラ=構造に適応した生存者 →暴力的現実を否定も幻想化もせず適応する生の戦略 ・ブランチが精神病院に送られるエンディングは、文学が現実を変えられないということを示している。つまり文学が現実に負ける物語とも読める。 ・詩的主体は、暴力的現実の前では精神病院送りにされるしかない。 ブランチは現実から目を背け、他者の親切にすがる(親戚の家、若い恋人、ステラ、ミッチ、観客(語りの聞き手)、医者)。 ・最後まで自分の現実は引き受けず、他者の手に身体を預ける。 →なぜなら現実は暴力的すぎるから。 →精神病院に連れていかれるという結末は、悲劇であり、救済であり、物語的必然である。 同じ部屋にいても、同じ出来事を共有しても、決定的に違う生の回路を生きている。 ・ステラの涙とスタンリーの欲情が同時に描かれることで、人間は同じ悲劇に対してすら別の反応をする生き物だという残酷な真実が露呈する。 ・共感は幻想。人間は分かり合えず、根本的に孤独な生き物である。 希望のない世界で希望にすがる人間の美しさと滑稽さ ・ブランチが救われないことはほぼ最初から確定しているのに、「どの瞬間に崩壊が決定的になるか」を見るために読む。 ・テネシー・ウィリアムズは、希望が幻想であることを美しく残酷に描いた
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