
読書猫
@bookcat
2026年2月14日
読み終わった
(本文抜粋)
“並んだ十七分を捨てられず、九分かけて手に入れた日陰から鳩を見ている。炎天下、路上のゲロをつついて輝く二羽の無表情。腹こわさんか? だいじょぶか。食えるから食ってんだろという野生なるものへの信頼がある。本能にしたがえ。第一感が結局正しい。思考を吸いとる本質めいたことばに、僕はよわい。何度裏切られてもすがってしまう。”
“勝つと対局が増え、負けると強制的に自由時間が与えられる。研究をしてもいい、ひたすら眠りこけていてもいい。漫画を読むだけで一日が終わってもいい、遊び歩いてもいい、あてのない日々を仕事にしてくれるのは結果だけだ。勝てば、怠惰に過ごした時間さえも正しかったことになる。”
“研究の差は、結局のところ関心の差だ。
僕は、そんなにも途方もない世界に関心がもてない。うまくいったらすごいだろうということはわかる。あたらしい世界が広がる可能性をおもしろそうだとも思う。でも、その先に思考が伸びていかない。”
“いまとなってはおなじみのきもち。逃してはいけないと自分で決めたものを逃してしまうことに慣れたのはいつからだろう。逃せば、感情の持って行き場がなくなる。けれど思考でおさまりはつく。無意味な願かけだったと否定して、なかったことにすればいいだけだ。自分ルールをつくっては、つくった過去の自分ごと笑い流しているうちに、ルールは効力を失っていた。それでも僕は、何度でも強いことばで自分を追いこむふりをする。ぬるい決意とやすい絶望。”
“例会からの帰り道、北参道駅の階段の途中でうずくまっている男を見かけたことがある。
ひと目で、おなじ三段のやつだとわかった。できるだけ離れて通りすぎようと思った瞬間サラリーマンが舌打ちするのが聞こえて、気づけば僕はどうしたと声をかけていた。
おりかたがわからない、とそいつは言った。”
“こんなによわいのに好きなんて、かわいそうだな、おまえ。”
“まちがえたくない、とおまえは思う。ぜったいにまちがえたくない。まちがえれば、過去の自分が否定される。あのみじめさがあったからこそ、いまの自分がある。架空の未来を使っていまに意味をもたせる前借りのロジック。けれど借りはいつか返さなければならない。つじつまを合わせなければならない。
勝たなければ、過去を編集し直さなければならなくなる。”
“芝とは小学生の頃からのつき合いだったが、芝の誕生日を知ったのはこのときが初めてだった。
なぜなら、奨励会においては、誕生日の話題はタブーだったからだ。
一つ歳を取れば、それだけ年齢制限に近づく。誕生日をめでたいものだと考えている人間など奨励会には一人もおらず、誰もがその忌まわしき日を心底恐れていた。”
