mkaizyuu "羊をめぐる冒険(上)" 2025年3月9日

mkaizyuu
@waita256
2025年3月9日
羊をめぐる冒険(上)
「海のことはもう忘れよう。そんなものはとっくの昔に消えてしまったのだ。」 いつも多くのものを失っていると感じている「僕」は、ついに「海」をも失った。また、故郷の海が埋め立てられている事実を踏まえて海=故郷を失ったと感じているとも言えよう。「海は五十メートルぶんだけを残して、完全に抹殺されていた。」しかし、三部作で一貫して「失い続けた」僕の作中の結末、そして描かれない未来について考える際に「海」は重要な役割を果たしている。 まず、「僕」の本作における思考的方向性について語ろう。「ひきのばされた袋小路」にあって妻と別れ、相変わらず「貯金を食いつぶすように」不幸な時間感覚の中で生きている「僕」だが、妻との絶望的な別れから一月ちょっとで極めて唐突に「耳」持ちの彼女と出会う。その気の変わりようにも驚くが、いよいよ彼女との「羊をめぐる冒険」が始まってからはそれに関する思考・出来事がほとんどで、前作で常に「僕」を苛んできた陰鬱な過去と未来への憂い は鳴りを顰める。しかし、その冒険の最中、「僕」の心の拠り所となっていた「耳」持ちの彼女はあっさりと姿を消し、かつて同質の悩みを抱えていた「鼠」は生きることを諦める選択をする。一方で最終的な「僕」の選択、決断、展望については明確ではない。しかし、本作が「歩き始めると背中に小さな波の音が聞こえた。」で締めくくられていることからは一定の明確性を読み取ることができる。つまり、失ったはずの「海」を再び描くことで、失われたものとの再会、新たな出会い、そして出発を表現している。これは何かを失ってばかりだった「僕」にとっては満足すぎるほどの結末と言えるだろう。そしてこれこそが私が村上春樹を好きな理由でもある。
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