羊をめぐる冒険(上)
54件の記録
ゆう@yu_322025年11月25日読み終わった再読村上さんの初期三部作、最終話。 鼠から届いた一通の手紙。 完璧な耳をもつガールフレンド。 すべてはここから始まる。 羊をめぐる冒険が。 もう何度も読んで結末を知っている。 それでも奇妙な男とのやりとりはスリリング。 ちょうど冒険のための舞台に降り立つところで下巻に分かれているのがいい。


uey@uey2025年11月7日読み終わった20年ぶりくらいに読んだ気がするけどほんとにかっこいい文章。ユーモアがある。最近の文章よりももっと、ボケが連続してるような感じがする。 読んでると、自分が普段生活してるのとはちょっと違った感じで、肩の力を抜いて世界を見れる感じがある。 「僕にはわからないことがいっぱいある。きっと年を取ったから賢くなるというものでもないのだろう。性格は少し変るが凡庸さというものは永遠に変りはない、とあるロシアの作家が書いていた。ロシア人は時々とても気の利いたことを言う。冬のあいだに考えるのかもしれない。」とかが好き。

- Biko@biko_2505122025年11月2日読み終わったうーん。数十年ぶりに読んだけど正直ついていけなかった。雰囲気のあることを言ってるようでひたすら言葉遊びをしてるような。理屈っぽさも鼻についた。主人公に共感するのは難しかった。『ダンス、ダンス・ダンス』とここまで印象が違うのはなぜだろう。もう10年したら「下」を読んでみるか。また違う印象を持つのかもしれない。それもまたおもしろいところ。

- 勝村巌@katsumura2025年10月31日読み終わった村上春樹の『羊をめぐる冒険』をオーディブルでフル視聴した。フル視聴という言葉はフルシチョフと韻が踏めるな。ソビエト的である。 朗読は染谷将太で非常に巧みな朗読でした。男性の声と女性の声を上手く語りわけていて、感心した。それ以外にも完璧な耳を持つ彼女や、黒いスーツの男、羊博士、指が3本しかないトルフィンホテルの支配人、運転手などをしっかり演じ分けていて、素晴らしかった。 いわゆるネズミ三部作の最終作である。ネズミ三部作ではピンボールのやつが1番好きなのですが、久しぶりに読み直し(聞き直し)してみたらこちらも趣があってよかった。 最近の技巧を感じさせないすっきりした成熟みのある村上春樹も良いが、この頃のある種の迷いみたいなものを抱えたぎこちなさも大変によい。 構成力みたいなものが少し弱いが、戦争とかその後の『ねじまき鳥クロニクル』に流れ着くモチーフがすでに出ているのも良い。 ホテルの中でエレベーターでどこかの間の階に止まるみたいな印象的なシーンがあったと思っていたが、なかった。それは『ダンスダンスダンス』の方だったのかもしれない。 レイモンドチャンドラーの構成や雰囲気を出そうとした、というインタビューがあるようだが、そういったハードボイルドな雰囲気はよく出ている。 あとは秋口から冬の北海道の感じが感じられて大変よかった。お話の中で会社をたたむ話が出ているが、これは同時期に村上春樹が自分の経営していたジャズバー「ピーターキャット」を専業作家になるために畳んだことが影響しているのかな。 久しぶりに読み返して(聞き返して)、色々発見もあった。同じ本を繰り返し読むのは楽しいな。





ゆん@yk505252025年5月20日読み始めた読み終わった2025/5/20 読了 なんだかんだ言いながら引き込まれ、下巻へ。 2025/5/14 読み始め もしかしたら今の気分と違ったかも。 でも読みやすいから、ボチボチ読み進めてみる。
mkt@mkthnsk2025年5月5日読んでる読み終わった再読中ずっと再読しようと思っててやっと。すっかり忘れちゃってたから、なにこれめちゃくちゃ面白いーってなってる。多分初めて読んだ時もそう思った記憶はある。でも前より春樹さんの凄さを感じれてる…ような気がする。


こむすめ@aky_12102025年4月28日読み終わったたとえ何が起こるにせよ、まだ何も起こってないんだ。そして何かが起こったとすれば、それはもう起こってしまったことなのだ。 (「羊をめぐる冒険(上)」) 読んでもた。



individual@individual2025年3月22日村上の大長編の多くは、主人公が「妻と離婚した」という事実から始まります。この設定を使用する目的の1つは、村上の描く非日常・非現実の「世界」へ、主人公をいざなうためだと思います。村上の作品の主人公は、社会に対して適応力があり、その社会と一定の距離を置いている方が多いです。したがって、非日常・非現実の「世界」へ主人公に入ってもらうためには、その主人公の「内在性」(心身)の変化ではなく、「外在性」(事象)の変化を原因とする必要があります。 ちなみに、主人公が非日常・非現実の「世界」での「冒険」のさいに、「内在性」(心身)の原因により、その「世界」に居る(もしくは居た)方々が登場します。『羊をめぐる冒険』では、「羊博士」、「鼠」、「先生」が該当します。この3人は非日常・非現実の「世界」の象徴である“羊”を、違うベクトルで使用しています。「羊博士」と「鼠」は、“羊”を“美”として使用し、「先生」と「秘書」は、“羊”を“悪魔”として利用しています。“美”と“悪魔”は、根が同じ“羊”から派生しているので、両者は表裏一体の関係です。- mkaizyuu@waita2562025年3月9日読み終わった「海のことはもう忘れよう。そんなものはとっくの昔に消えてしまったのだ。」 いつも多くのものを失っていると感じている「僕」は、ついに「海」をも失った。また、故郷の海が埋め立てられている事実を踏まえて海=故郷を失ったと感じているとも言えよう。「海は五十メートルぶんだけを残して、完全に抹殺されていた。」しかし、三部作で一貫して「失い続けた」僕の作中の結末、そして描かれない未来について考える際に「海」は重要な役割を果たしている。 まず、「僕」の本作における思考的方向性について語ろう。「ひきのばされた袋小路」にあって妻と別れ、相変わらず「貯金を食いつぶすように」不幸な時間感覚の中で生きている「僕」だが、妻との絶望的な別れから一月ちょっとで極めて唐突に「耳」持ちの彼女と出会う。その気の変わりようにも驚くが、いよいよ彼女との「羊をめぐる冒険」が始まってからはそれに関する思考・出来事がほとんどで、前作で常に「僕」を苛んできた陰鬱な過去と未来への憂い は鳴りを顰める。しかし、その冒険の最中、「僕」の心の拠り所となっていた「耳」持ちの彼女はあっさりと姿を消し、かつて同質の悩みを抱えていた「鼠」は生きることを諦める選択をする。一方で最終的な「僕」の選択、決断、展望については明確ではない。しかし、本作が「歩き始めると背中に小さな波の音が聞こえた。」で締めくくられていることからは一定の明確性を読み取ることができる。つまり、失ったはずの「海」を再び描くことで、失われたものとの再会、新たな出会い、そして出発を表現している。これは何かを失ってばかりだった「僕」にとっては満足すぎるほどの結末と言えるだろう。そしてこれこそが私が村上春樹を好きな理由でもある。























































