綾鷹
@ayataka
2026年2月18日
毎日読みます
ファン・ボルム,
牧野美加
また読書に関する本。
どこかに私と同じように本を読み、本に救われている人がいると思うだけで、幸せな気持ちになる。
また読みたい本が大量に増えてしまった。。
・本を読むことは、わたしとは切っても切り離せないものだ。人生で問題が起きたら、最終的には本に答えを求めるしかないのだから。世の中が、人生が、自分自身が、あなたのことが気になるとき、理解できないとき、知りたいときは、やはり本を開くしかないのだから。
本が毎回明確な道を示してくれたわけではないけれど、手がかりは与えてくれた。どの道を行けば、求めている答えを見つけられるだろう、という手がかり。わたしはその手がかりを握りしめ、見知らぬ道へと足を踏み出した。そうやって本を読んでいるうちにわかったことがある。何も持たずに道を歩んでいくときよりも、誰かが丁寧に握らせてくれた手がかりを頼りに歩んでいくときのほうが、わたしは、より勇気ある、より揺らがない人間になれるという点だ。
少しの勇気と、少しの強さを、わたしは本から得た。
・退屈で、物語が恋しくて、虚しくて、友だちに共感したくて、世の中に希望を持ちたくて、そして究極的には、ただただ何かが読みたくて、わたしは毎日本を読んできた。これからも読みつづけるだろう。
・いつだったか、人間は自分の手で作った物をより高く評価する、という文章を読んだことがある。目の前の友人の作ったものとそう変わらない紙飛行機を作ったとしても、アイデアを絞って一生懸命作ったぶん「わたしの紙飛行機」のほうが価値あるように感じられる、という内容だった。わたしも、無限大から「1を引く」ことに費やした労力を思い、「わたしの本」を高く評価していた。書店で苦労して選んだ本が並ぶ「わたしの本棚」は、もはやリビングにある本棚とは比べ物にならなかった。
・「君は君の人生を変化させなければならない」それが、パトリック・ジュースキントが結論づけた、わたしたちが本を読む理由だ。わたしはその文章を頭の中で何度もつぶやきながら、もし一冊の本を読む前の自分と読んだあとの自分が少しでも変化していたなら、たとえその本を読んだことすら覚えていなくても問題ないのだと自分を慰めた。
・そういう場面に、わたしは本のロマンを見いだす。本はロマンチックだ。本を読む人もそうだ。本の中に深く潜り込んでいる人だけが放つ空気。その雰囲気。その視線。この世でもっともひそやかで静かな変化は本を読んでいる人の内面で起こっていて、その人の姿そのものが、わたしにとってはもっともロマンチックなイメージとなる。だからわたしもそのイメージの中に一度入ってみたいのだ。
・かつて人文学ブームのさなか、人々は、本をたくさん読めば成功できるだろうと期待した。
絶望だらけの社会に本が希望をもたらしてくれるなら、実に喜ばしいことだ。けれどわたしは、本の効用が社会的成功にあるとは思えなかった。わたしの読書法では、シェークスピアの戯曲と資本主義の成功公式を結びつけることができなかったからだ。荘子の本を読んだ人が、あるいは「無用之用」を理解した人が、果たして成功だけを望むだろうか?成功を求めて人文学の本を読みはじめたとしても、最終的には、成功ではなく人生に目覚めるのではないだろうか。
「おまえは本に何を求めているのか?」という問いに対するわたしの答えは、こう続く。本を読んで強くなりたい。より揺らがない、よりどっしりした人間になりたい。傲慢でもなく、無邪気でもない人間になりたい。自分の感情に率直でありながらも、感情に振り回されないようになりたい。大げさに言えば知恵を得たい、日常生活では賢明になりたい。世の中を理解し、人間のことがわかるようになりたい。
こうやって答えを羅列してみると少々気恥ずかしい。いっそ成功を望むほうが簡単そうだ。
今の自分の姿と、自分の望む姿とのギャップがとてつもなく大きいという事実を思えば、なおのこと。一方では、こうした望みの数々が、自分が本を読むもっとも強い原動力になっていることも知っている。「欠如」が人を導くように、数多くの「不十分さ」がわたしを本の中へと
導く。
・本を読む人が、読まない人より揺らがないように見えるのは、読む人の心の中にある「人生の本」のおかげかもしれない。人生で途方に暮れたとき、わたしは本を思い浮かべる。誰かの言葉に振り回される代わりに、自分の中の「人生の本」コレクションを頭に浮かべ、心の中で読むのだ。以前わたしを支えてくれた本が、今回も支えてくれる。人生の本が増えていくほどに、生きていく力が生まれる。
・本を一冊読み終えて、次は何を読めばいいかわからないときは、「なぜこの本を良いと思ったんだろう?」と一度考えてみるのだ。そして、その「なぜ」をたどっていき、目には見えない本のつながりを頭の中に描いてみる。著者の思想が気に入ったのなら、その思想に影響を及ぼした作家は誰なのかを調べてみる。テーマが良いと思ったのなら、同じテーマのほかの本を検索してみる。引用句が特に印象的だったなら、引用された本を読んでみる。クモの巣のように緻密に張り巡らされた「読書の網」から、簡単には抜け出せなくなるはずだ。
・とにかく結末は、ハッピーエンディングでなければサッドエンディングだ。望むものを手に入れても、入れられなくても、それがハッピーエンディングであれ、サッドエンディングであれ、エンディングが来れば物語は完成する。物語は、登場人物が望むものを手に入れようが入れまいが、そんなことはお構いなしだ。人生も物語だとすれば、同じことが言えるだろう。この人生は、わたしの成功や失敗には関心がない。その代わり、わたしがどれほどすごいことを望んだのか、それによってどれだけ自分の人生を鮮烈に感じ、また何を学んだのか、その結果、どんな語が生まれたのかーそういう問いだけが重要なのだろう。
・絶望感、挫折感、不安、宙ぶらりんの存在、悲観的な見通し。エピローグの続きの文章に並ぶ言葉だ。カムフラージュしてはいるけれどわたしたちの内面に存在しているものでもある。
だからわたしは、読書とは、自分の人生の光と闇を、他人の人生の光と闇を受け入れることだと思う。作家の紡ぎ出す、人生の孤独な瞬間や満ち足りた瞬間。小説家の描き出す、複雑で立体的で、泣き、笑う人物たち。哲学者の目に映る、幸せだったり不幸せだったりする人物たち。
そして、そういう人物と大して変わらないわたしたち個々人が築いていく人生。わたしたちに知識が必要だとしたら、まさにそういう人生についての知識であるはずだ。
・わたしたちは自分のことを隠して生きているが、本の中の人物たちは隠しては生きられない。
だからわたしは、彼らがさらけ出しているものを通して、わたしたちが隠しているものを見る。
わたしが、あなたが、ロ・ギワンのように人知れずむせび泣いている場面を見る。わたしはロ・ギワンが頭から離れず数日苦しんだ。もしかしたらそれは、この世のすべての「ロ・ギワン」たちを思う悲しみだったのかもしれない。
・苦しい本を読んで楽しいはずがない。それでも逃げ出してはならない理由は、世の多くの真実というのはそのように不快で、苦しいものだからだ。楽に手に入れられる確合は、自己啓発書の言うところの「成功」には必要かもしれないが、真実とはかけ離れている。それゆえわたしたちには、苦しみに耐える力が必要なのだ。
・イリイチは、人間のあらゆる行為が商品に従属し、わたしたちの人生が没収されていくさまを直視する。春の野に咲き乱れる花のように多様な美しさを持つ個々人の人生が商品によって標準化され、もはや誰が誰だか区別がつかないありさまだと危惧する。そういう社会で個人が自分の人生に満足するのは容易ではない。
自分を守る、自分を保護する読書が必要な理由がここにある。商品を積み上げるのではなく、世の中を理解する知識を積み上げるために。メディアの提案してくる幸せではなく、自分の望む幸せを追求するために。孤独なとき、マートではなく友人の家へと向かうために。安定感に飢えているとき、豪華な家を夢見るのではなく、今ここでシンプルな生活を営むために。自分の不安の根源をみずからたどっていくために。自分の選択をする際に自分の気持ちを蔑ろにしないために。自分の中の欲望を理解し、それを解消する方法を自分で見つけるために。そのために、わたしたちは本を読まねばならないのだ。
メディアの生み出すストーリーは、どうしようもなく誘惑的だ。強烈なイメージはしつこくわたしたちにまとわりつき、思考や行動を掌握する。自分ではないほかの誰かの利益を代弁するメディアに対抗できるよう、わたしたちみんなが自分の中に「物語の自販機」を一つずつ持つといいと思う。自分を力づけてくれる物語がどっさり入っている奇跡の自販機を。必要なときに心のスイッチを押して物語を一つずつ再生するのだ。
・アンドリュー・パイパーの文章を読んで、わたしもハッとした。そうだ、本がなくなったら「読者」もいなくなるのだ。それは、わたしのアイデンティティーの一部がなくなるという意味だ。一日に何時間も、鉛筆でアンダーラインを引きながらページをめくり、夢中で読んでいるうちに夜一二時を回っていることに気づいて消灯するわたし。初対面の人を前にすると、この人は本を読む人だろうか、読まない人だろうかと心の中で推察し、もし読む人ならどんな本を読むのだろうと想像しながらも結局本人には聞けず、家に帰ってきてから考えるわたし。知り合って何年にもなる友人よりも同じ本を読んだ人のほうが話がよく通じると感じ、しきりに友人たちに本を薦めるわたし。ぱっとしない自分の生活も本のおかげでそれなりに良くなったと肩じ、本を一冊手にしていると世界とつながっているようで安心するわたし。そして、退屈なときや孤独なとき、腹が立っているときや憂鬱なとき、世の中や人間に嫌気がさしたときにわたしの心を立て直してくれた本たち。そういう本なしに、わたしは生きていけるだろうか?ああ、わたしも本のない世界なんて想像できない。わたしは死ぬまで読者として生きていたい。

