
みっつー
@32CH_books
2026年2月18日
さみしい夜にはペンを持て
ならの,
古賀史健
読み終わった
「届け」と願いながら、今日も文章を書いてます。
なんてわかりやすく、なんて難しいのだろう、と思わせてくれる本に時々出会う。
この本もそうだ。
難しい言葉は使っていないし、ぷっくらと丸みをおびたタコやクラゲや泡のイラストが可愛らしいし、今知りたいことを教えてくれる実用書かと思えばタコの主人公とヤドカリのおじさんによる物語が展開されている。
この本をジャンル分けすることは難しい。
けれど読み終われば、そんなことはする必要ないということに気付かされる。
主人公の繰り返す苦悩と思考の旅を通じて、私たちは「私自信」を知る大冒険に出るのだ。
「日記を書くのはね、自分という名のダンジョンを冒険することなんだ」
古賀史健『さみしい夜にはペンを持て』p.103
日記は基本的に誰かに見せるものではなく、自分が自分のために書くものである。
けれど、私は「なんのために書くのか」というところには意外と意識がいってなかったように思う。
記録として、記憶として、なんとなくの気持ちで書いていることが多い。なんならnoteに日記を書いているので、どちらかというと自分について深く考察するためのものではないとも言える。この場合、先ほど書いた「基本的に」の「基本的に」はまっていないのがとてもアウトローである。
「自分という名のダンジョン」を冒険する。
この例えはかなり好きだ。
私自信ゲームをするので、こういう置き換えで考えるととても分かりやすい。
ダンジョンと一括りにいっても、その内部にはさまざまな要素がある。
まずは敵だ。
これはきっと自分にとっての「悩み」や「悲しかったこと」「嫌いなアイツ」などに該当するだろう。敵をどう攻略するか、急所はどこなのか、ポケモンで言えばむしろ捕まえてみようか?そんなことが考えられる。
次に宝箱だ。
宝箱は見つけたら嬉しい。その中身は「やくそう」かもしれないし「武器」や「防具」もありえる。
ちょっとだけ嬉しかったこと、とても嬉しかったこと、後々に重要になりそうなもの。
ダンジョンには欠かせない要素のひとつだ。
宝箱の中には「カギ」が入っているかもしれない。
カギを使って、新しい扉を開く。
そこにはまだ見たことのない敵や、宝箱がまた配置されている。
そこは新しい場所だ。
深く潜っていくことで、次の扉を開いたり、下の階層、上の階層、進んだり、取り逃がしがあると感じれば戻ることもあるかもしれない。
これらを踏まえると思考を深めていく行為は、文字通り「ダンジョン探索」という例えと密接に関わっているのだと感じる。
記憶が曖昧なときには、いきなり『全体』を思い出そうとしないほうがいい。限定されたシチュエーションを、細かく思い出す。そうすると前後の記憶もよみがえる。
古賀史健『さみしい夜にはペンを持て』p.124
1日というだだっ広いダンジョンを、ときに細かく、ときに俯瞰して探索していく。
取り逃がした宝箱や、その部屋にしか現れないレアなモンスター、物語を深めていくためのヒントが隠されていたりするかもしれない。
毎日ダンジョン探索を続けていると、他の旅人に出会ったりもする。
話してみて、「イイ人だなぁ」と思うこともあれば「いやな奴だ」と感じることもあるだろう。
その度に考える。
どこが「イイ人」で「いやな奴」なのか。
それを深く考えることで、自分も誰かに優しくできたり、誰かを傷つけないようにできたり、誰かと衝突せずに分かり合える日が来るかもしれない。
ここまで書いた文章は、これを読んでくれる誰かに向けて書かれたものだ。
けれど、これを読む、自分に書いたものでもある。
もし道に迷ったとき、この本を読んだことを思いだして、自分のこの感想文を読み直すかもしれない。
そうかこんなこと考えて書いてたよな、とそのときの自分が安心できたなら、しっかりとここに書いた想いが届いたということなのだろう。
自分の思ったことを書いてたら、息切れのような感覚になってきた。
だけど、今はそれがとても気持ちいい。


