綾鷹 "女の国会" 2026年2月19日

綾鷹
@ayataka
2026年2月19日
女の国会
女の国会
新川帆立
選挙に弱い政治家は、 誰かの言いなりになるしかない。 だからーー。強くなりたい。 国会のマドンナ“お嬢”が遺書を残し自殺した。 敵対する野党第一党の“憤慨おばさん”は死の真相を探りはじめる。 議員・秘書・記者の覚悟に心震える、政治 大逆転ミステリ! ミステリーとしても、登場人物が権力に打ち勝つ物語としても、とても面白かった。 ミソジニーにも皮肉で返す、理不尽に見舞われても力強く乗り越える高月の姿はかっこよくて憧れる。 女性だったら大体の人はこの物語に出てくるような苦しみを味わっているのだろうか。 沢村が世の中全体を憎んでしまうシーン、間橋が自然に押さえ込んでいた苦しみ・無念さに気付くシーンは特に共感した。 今を生きている私たちの言動で世の中はもっとよくできると、理不尽なことがあっても諦めたくないという気持ちにさせてくれる物語だった。 そして、自分の想像が及ばないところで別の苦しみを抱えている人も必ずいるということを忘れないようにしたい。 ・「また、変な記事を書かれますよ。今日のうちにオンライン記事の一本や二本、出ちゃいま す」 沢村が声をひそめて言うと、高月はなぜか得意げな笑みを浮かべた。 「見出しはきっと、『憤慨おばさんVSウソ泣きお嬢女同士の対決の行方は?』とか、そういうのだよ。どうせ」 参議院議員のうち女性は二十五%程度、議院になると十%未満だ。女同士の対決というだけでニュースになる。 うんざりしながら沢村は言った。「女、女って、キワモノ扱いして、何かあればすぐに揚げ足をとってやろうと待ち構えている。減点法で、こきおろしてばっかり」 「仕方ないよ」 と、高月は屈託なく、白い歯を見せて笑った。 「それが民主主義だからさ」 高月は事務所に戻って荷物をつかむと、椅子に腰かける間もなく出ていった。 ・「あのおやじ、何度晩酌に付き合ってやったことか」足を放り出しながら高月が言った。「普段とれだけお愛想したって意味ないね。何かあると、情け容赦なく責任を押しつけてくるんだ から」 沢村はぼそりと言った。「ジェンダー的な見栄えって、一体何なのでしょう」「知らないよ。国民感情ってやつでしょ。世論調査するわけでもないのに。オッサン連中のメンツを、国民におっかぶせて代弁させているんだよ」 朝沼と高月、女同士の喧嘩として片づけられるのは、党として幸運なのだろうか。男が女をいじめるのはシャレにならないが、女が女をいじめるのはまだマシなのか。 胸のうちにもやもやとした感情が広がったが、それ以上口にすることはできなかった。高月は事態をより深刻にとらえているだろう。言っても仕方ないことを言って、ことさらに気分を害したくない。 ・それから二週間のうちに、事態はどんどん悪化した。 週刊誌は「十五年にわたる女の闘い嫉妬、陰口、裏切り」などと題して、高月と朝沼の間の確執を盛んに報じた。たいていは口論をしたとか悪口を言ったとか、その程度のものだ。 記事に嘘は含まれていなかったが、編集に悪意があった。 高月は相手を選ばず口論したし、他人について辛辣な意見を口にした。誰とでも喧嘩していたのである。朝沼との仲が特に悪かったわけではない。 「別にいいじゃん」 事務所で欠伸しながら、高月はあっけらかんと言った。 「もともと攻撃的な女、気の強い女ってイメージで悪く書かれていたんだし。でも考えてごらんよ。国会議員、特に議院議員なんて、男も女も、みんな気が強いよ。そうでなくちゃ、小選挙区選に勝てるわけないじゃん」 沢村は、せりあがる不満に蓋をすることができなかった。 「でも男の場合は扱いが違います。攻撃的でも気が強くても、リーダーシップがあるとか、いさというときに戦える男だとか、好意的に語られるわけでしょう」 「まあそうだけどさ。最近はこれでも、だいぶ良くなってきたんだよ。私が初当選したときの記事なんてひどかったよ。少し喧嘩しただけで、『黄色い声を張りあげて、紅い気炎を吐く」なんて書かれたもん。ヒステリックな女が男を焼き尽くすって印象を植えつけたいんだよ」 「印象操作ですか」 高月はにやりと笑った。「言論の自由だよ」 ・「こんな状況だからさ。県連を説得して、女性が公認を勝ちとるためには、党本部からの強いプッシュが必要なの。だけど党には通常、女性候補者を増やすインセンティブがない。女性はあくまでピンチヒッターなの。困ったときだけ、目新しい印象を与えたいときだけ、女性を入れればいい。残酷だけど、彼らの率直な感覚はそんなものよ」野党であれば、与党にはない新鮮さを印象づけるために女性候補者擁立をもくろむことがある。与党であれば、野党に惨敗したあとの選挙のときに、イメージ刷新目的で大量の女性候補者を擁立することがある。いずれにしても、ピンチヒッターにすぎない。 「私たち女性は、味変調味料ってことですか」沢村が言うと、高月はきょとんとした顔をした。 「味変調味料?」 「のり塩とか、ラー油とか、七味唐辛子とか。定番の味にちょっと加えて、目新しい印象をもたらすだけの存在。丼ぶりの具は何も変わらないのに」 ・「沢村ちゃんのお父さんは何をしている人?」 福森が訊いた。 「中学校の教師をしています。もうすぐ定年ですが」 「そうか。お堅いおうちなんだね。だから沢村ちゃんはしっかりしているのかな」 北海道の両親を思い浮かべた。 母親も中学校の教師をしていた。姉さん女房で、何をやらせてもしっかりこなす人だ。その世代では珍しく、産休育休を挟んですぐに復帰し、定年まで勤めあげた。だが福森は、沢村の母の職業を訊くことはなかった。 ・高月に生贄にされたのだ。 ちょうど若い女の子が秘書に入ったから、エロジジイにあてようと思ったに違いない。 県連からの推薦のため、党の公認のため、票のため。すべては高月が政治家であり続けるためだ。そのために沢村は差し出された。普段の仕事ぶりやロースクールで学んだことは関係ない。大事なのは、若い女性であるということだけ。 腹が立った。 だがその怒りは不思議と高月へ向かなかった。高月の着物姿が視界の端に入るたび、むしろ悲しくなった。 普段からパンツスーツと丸眼鏡で、女性性を感じさせない。国民からは「女を捨てたおばさん」とか「おじさんかと思った(笑)」といった言葉を浴びせられることもある。 そんな高月ですら、選挙がからむと女性性を前面に出して媚を売る。そこまでしないと勝てないからだ。 ーー秘書の仕事は、先生を選挙に勝たせることだ。 出柄が言っていたことの重みが深く胸に落ちてきた。 身体を差し出してまで、先生に勝たせるのが秘書の仕事だというのか。 やはりどうしようもなく腹が立った。高月に対してでもなく、福森に対してでもなく、世の中全体が憎いような気がした。 ・高月はどういう気持ちであの着物を選んだのだろう。どちらかといえば夏の模様だから、季節に合わせて選んだわけではないはずだ。 無愛想にしていれば女らしくないと言われ、女性らしくすれば女を使っていると言われる。 障害だらけの環境で、それでも負けじと泳いでいこうとする高月の決意があらわれている気が した。 議院の片隅でこっそりと泳ぐ鯉たち。 そこに自分を重ね、袖を通しているのではないか。 今はこうして愛想笑いを浮かべ、媚を売っている。だが自分は政治家なのだ、政治家であり続けるのだという決意表明である。決意をかたちにしておかないと、心が折れてしまう瞬間があるのかもしれない。 自分を奮い立たせながら、高月は戦ってきた。 一人でやってきたんだから、今回も一人でやってほしかった。同じ女だからって、沢村までまき込まないでほしい。そう思わないでもなかった。 だが高月は追い込まれていた。そういうときに頼れる人がいなかったらどうなっていただろう。 ・新聞社、通信社に占める女性の割合は二割強にすぎない。「記者」とは呼ばれない。いつも「女性記者」だ。女であるだけで目立つ。特オチなんてしてしまった日には男性記者の何倍も冷たい視線が向けられてしまう。 特ダネをとってやろうという意気込みはわいてこない。目立たぬように、波風を立てず、つつがなく仕事をこなすのに精いっぱいだった。 ・たしなめるように言いながらも、脳裏には、口元を歪めて笑う顕造の顔が浮かんでいた。戦後日本の政治のと真ん中を歩いてきた、典型的な男性政治家だ。権力を振りかざし、我を通して、仲間内で利権を分け合う。自分たちが何を踏みつけているのか、意識をすることもない。 打ち倒さなくてはならない、と唐突に思った。 踏みつけられるのはもう嫌だった。 ・「あなた、なんでそんなに自分の実力を否定するの?」高月はじっと目を見つめてきた。その眼力の強さにたじろと。 「なんでか分かるよ。あててやろうか。戦うのが怖いからでしょ。圧倒的に不利な男社会で前に出たところで、濃されるに決まっている。本当は実力があるのに性差別のせいでそれが発算できない。そんな理不尽を目の前にしたら苦しい。だから、実力を下方修正する。自分はもともと栄光に触しない人間なんだと思い込むことで、自分の心を守っている。そうでしょう」 ・テーブルの上に視線を落とした。何と答えていいか分からなかった。 嫌われるのが怖くて、選挙カーを避けているわけではない。自分がされて嫌だったことを、他人にしたくないだけだ。 だけど、嫌だったことは他にもたくさんある。男性と比べても、女性アナウンサーばかり外見に言及されて、「テレビの顔」「職場の華」という扱いを受けていたこと。どんなにまっとうなことを言っても、「主婦が言っている」というだけで軽んじられ、誰にも聞いてもらえないこと。議員になってなお、下働きは当然のように女性にまわってきて、目立つ部分は男性議員がかっさらっていくこと。女だって働いていいけど、家庭のこともきちんとしてよね、という風潮。 自分を取り囲むピースが、自分のかたちを決めてしまっている。世間の扱いが先にきて、わずかに残ったすき間に、身体を無理やり合わせておさまっている。間橋は柔らかかった。周りに合わせることが苦痛ではなかった。少なくとも自分ではそう思っていた。だけど本当は、苦しかったのかもしれない。 ・首相になんてなれるわけないでしょ、と言いそうになったが、やめた。きっと夫は、みゆきなら大丈夫だよ、と返してくる。 自分は首相になれないって、どうして思ったんだろう。女だから?政治家の家系じゃないから?人生はあと何十年もあるのに。どうして最初からあきらめていたんだろう。 日本で女性首相が生まれたことはない。 百年以上前から、百回以上組閣されているのに。女性首相はゼロだ。ネットで内閣総理大臣と検索すると、おじさんたちの写真がずらりと並ぶ。男、男、男、男・•・・・・スクロールしても、しても、男の写真しか出てこない。 これがどれだけ異様なことか、気持ちの悪いことか、どうして今まで気づかなかったのだろう。 女は怒っていい。こんなのおかしいと言っていい。 百年後の女の子たちには、「そんなひどい時代があったのか」と驚いてほしい。その頃にはきっと、今よりマシな現実があるはずだから。 ・勢いづいたように、兵頭首相は続けた。 「どうか加賀美君を、皆さんの力で、国会に送ってやってください。加賀美君を、男にしてやってください」 四人の女たちは、茫然と立ち尽くしていた。 しかし誰からともなく顔を見合わせた。 「男にしてやってください、だってさ」高月はニヤッと笑った。「女の国会議員は何なんだって話だよ」 間橋は苦笑いしながら言った。 「ほんとですよね。今の加賀美さんは男じゃないのかって感じですし」 選挙カーの脇では、「妻です」「娘です」と太字のタスキをかけた女性たちがしきりに頭をさげていた。 兵頭首相は、がなるように演説を続けている。 「・・・・・・・私は、加賀美君に尋ねました。男子一生の仕事に身をささげる覚悟はあるか、と。加賀美君は答えた。この身が朽ち果てようとも、日本の堆肥となるのであれば本懐です、と。ここまで言いきる男はあっぱれだ。是が非でも勝たせてやらなければ、私の男の沽券にも関わる。 しかしね、外ではこれほど堂々としている加賀美君も、一旦家に入ると奥様に頭があがらず、靴下一つ買うにも決裁が必要なんだそうです。考えてみてください。三百円も自分で使えない。これほど金に綺麗な男がおりますでしょうか」 群衆から笑いがもれた。 「こんな演説でも、刺さる人には刺さるんだもんな」高月がしみじみと言った。「男になったとか、男子一生の仕事だとか、男の沽券とか、本懐とか。何でもいいけど。男の人って結構、スピリチュアルが好きだよね」 ハンディカメラを持っていた和田山がくすりと笑った。 ・「大丈夫なの?」 「はい」表情は引きしまり、顔に生気が戻っている。「生卵にはびっくりしたけど、こんな記事まで拡散されちゃうと、逆にやってやるぞという気になってきました。私が梅命にしたことは、ただの親切、手助けです。それをこんなふうに書かれて。政治家として議席を争う場面で、女というだけで足を引っ張られる。女が政治の場に出ていくのが我慢ならない人たちが、どういうわけか、いるようですね。そういう人たちを利用して、加賀美さんが私を叩きのめそうとしている。このまま負けたら相手の思うつぼって感じで、悔しくってたまらないですよ」支援者によりそわれながら、間橋は事務所を出ていった。 ・「あなたには分からないでしょうね。どうしてこんなに面倒なことをするのか。でもね、答えはこのノートにそのまま書いてある。僕は首相になりたかった。だけど、この国で、トランスジェンダーは首相になれない。これは誰が何と言おうと、動かぬ現実です。人口の半分を占める女性の首相すら、一人も生まれていないんですよ。いわんや、性的マイノリティが首相なんて、まず無理です。そういうトップが誕生する未来がありえるとしても、何十年先になるんでしょうか。性同一性障害を公表したら、選挙に通るのも難しくなる。仮に、数限りない誹謗中傷を乗りこえて、票をかき集め、なんとか当選したとしても、シスヘテロ男性が支配する永田町で勝ちあがることはできません。普通の男だったら気にすることもない障害が次々と降りかかる。つまりそういうことです。差別というのは」 ・何と言っていいか、分からなかった。 顕太郎が感じている痛みは、想像できた。高月のような女性も、同じように感じることが多いからだ。「普通の男」なら経験しないような障害が、毎日毎日、何十年も降りかかる。それにめげてしまうと「女の人は長続きしない」「出世する気がない」「意欲がない」「適性がない」と、個人の資質のせいにされる。女であるだけで、有権者に嫌われることもある。 だが軽々に「あなたの気持ちが分かる」と言うこともできなかった。 直面する障害の重さも、数も、顕太郎の場合は、比べ物にならないだろうから。 「僕が愚かだったんですよ」 唐突に、顕太郎が言った。 「朝沼さんが、彼女が分かってくれたから。期待してしまったんだ。他の人も分かってくれるかもしれないと。自分がマイノリティであることを公表したくなった。気持ちの整理をつけるためにその手記を書いた」
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