
きん
@paraboots
2026年2月20日
『百年の孤独』を代わりに読む
友田とん
読み終わった
感無量。
やっと読み終えた。
正直、辛かった。もう辞めていいよと言われたら、あ、そうですか、いやぁ楽になれましたおかげさんで!と手放しで喜んでいただろうと思う。
本当に途中ダレタ、ダレまくりだった。そしてブエンディア家の皆さんはいったいダレがダレやねん、そう言う迷路に迷い込んでいた。
しかし読み終えて思うのは、当初の記憶。
代わりに読むって、なに??
と言うことだった。
アレン様の、どういうこと??ってセリフが頭の中を巡る。
誰かの代わりに読む、それは可能なのか、またそれはなにを意味するのか。
そのあたりも本書で友田さんが真面目に向き合っておられ、あ、なんだ、めちゃくちゃ真面目な人やん、と読んでいるこちらも背筋を正した(それまでは本当にダレて寝っ転がって読んでいた)
友田さんとはほぼ同い年なので、書かれる内容とか共有できる土台みたいなものが割と一緒で面白かった。が、脱線の内容のところ、結局あれってどうなったんだっけ?ってことが割とあった…今思うと、なーんか割と適当な記憶しかなくて、妄想すら入っているとも思える。しかし、あたかもその共有していると感じている行為それ自体が、代わりに読む、と言うことに繋がるのではないかなと個人的に感じたりもした。
友田さんの言うように、代わりに読むことはできないが、代わりに読めないからこそ、代わりに読んだ人の体験は自分の読むと言う行為の孤独さを緩和してくれるように思う。
ちょうどそれは山登りのように。山を登るのはそれぞれが各々の力で行うが、あそこであの人が登っている、そう言う感覚があるからこそ、己の中の孤独を癒すことができるのではないかと思える。(残念ながら山登りの趣味はわたしには無いので、適当なことを言っているはず)
そして、付箋を多く貼ったのでその部分を今読み返しているが、なんでそこに貼ったのか、なにがよくて貼ったのか、考え至らず訳がわからないでいるが、それもまたとても心地よく感じる、ぼくは。
追記
すごく陳腐だけど、宮沢章夫さんや宝島や中島らもやみうらじゅん、竹中直人やシティーボーイズなんかを彷彿する作品だった。大変美味でした。









