綾鷹
@ayataka
2026年2月20日
すべての、白いものたちの
ハン・ガン,
斎藤真理子
おくるみ、産着、雪、骨、灰、白く笑う、米と飯……。生後すぐに亡くなった姉をめぐり、ホロコースト後に再建されたワルシャワの街と、朝鮮半島の記憶が交差する。朝鮮半島とワルシャワの街をつなぐ65の物語が捧げる、はかなくも偉大な命への祈り。
ハン・ガンさんの小説は初めて。
生と死とが色々な白いもので表現されていて、
読んでいる間、気持ちが冷たく静かな気持ちになった。
複数の種類の紙とフォントを使ってるのも素敵だった。
◾️おくるみ
雪のように真っ白なおくるみに、さっき生まれたばかりの赤ん坊がしっかりとくるまれている。子宮はどこよりも狭くて温かい場所だから、急に広い空間に出てびっくりしてしまわぬようにと、看護師がきゅっと包んでくれたのだ。
たった今、肺での呼吸を始めたばかりの人。自分が誰で、ここがどこで、今始まったばかりのものが何なのかを知らない人。生まれたばかりの小鳥や子犬より無力な、どんな動物の赤ん坊よりもまだ稚い、いちばん稚い生きもの。
血をたくさん流したために青ざめた女が、泣いている赤ん坊の顔を見る。当惑しながら、おくるみごと赤ん坊を抱き取る。泣きやませるにはどうしたらいいのか、まだ知らない人。
さっきまで、肩じられないほどの痛みを経験していた人。赤ん坊がしばし泣きやむ。何かの匂いのためだろう。二人はまだつながっている。まだ見えていない赤ん坊の黒い目が、女の顔の方へー声のする方へと向く。何が始まったのかはわからないまま、まだ、二人はつながっている。血の匂いがする沈黙の中で、体と体の間に真っ白なおくるみをはさんで。
◾️雪
ぼたん雪が黒いコートの袖に止まると、特別に大きな雪の結晶は肉眼でも見ることができる。正六角形の神秘的な形が少しずつ溶けて消えるまでにかかる時間はわずか一、二秒。
それを黙々と見つめる時間について、彼女は考える。
雪が降りはじめると、人々はやっていたことを止めてしばらく雪に見入る。そこがバスの中なら、しばらく顔を上げて窓の外を見つめる。音もなく、いかなる喜びも哀しみもなく、霏々として雪が舞い沈むとき、やがて数千数万の雪片が通りを黙々と埋めてゆくとき、もう見守ることをやめ、そこから顔をそらす人々がいる。
◾️白く笑う
白く笑う、という表現は(おそらく)彼女の母国語だけにあるものだ。途方に暮れたように、寂しげに、こわれやすい清らかさをたたえて笑む顔。または、そのような笑み。
あなたは白く笑っていたね。
例えばこう書くなら、それは静かに耐えながら、笑っていようと努めていた誰かだ。
その人は白く笑ってた。
こう書くなら、(おそらく)それは自分の中の何かと訣別しようとして努めている誰かだ。
◾️輝き
人間はなぜ、銀や金、ダイヤモンドのような、きらきらする鉱物を貴いと感じるのだろう?一説には、水のきらめきが古代の人々にとって生命を意味したからだという。輝く水はきれいな水だ。飲める水ー生命を与えてくれる水だけが透明なのだ。沙漠を、ブッシュを、汚い沼沢地帯を大勢でさまよったはてに、白く輝く水面を遠くに見出したときに彼らが感じたのは、刺すような喜びであったはずだ。生命であり、美であったはずだ。
◾️沈黙
長かった一日が終わると、沈黙のための時間が必要だった。暖炉の火の前に座ったときにひとりでにそうなるように、沈黙のわずかなぬくもりにむかって、こわばっていた手をさしのべ、広げる時間が。
◾️下の歯
お姉ちゃん(オンニ)、という発音は、赤ん坊の下の歯(アレンニ)というときに似ている。私の子の薄い歯ぐきから生え出た、初芽のような二つの小さな歯。
もう私の子は成長し、赤ん坊ではない。十二歳になったその子の首もとまでふとんを引き上げ、かけてやり、規則正しい息の音にしばらく耳を傾けてから、空いた机に戻る。
◾️ 私の母国語で白い色を表す言葉に、「ハヤン(まっしろな)」と「ビン(しろい)」がある。綿あめのようにひたすら清潔な白「ハヤン」とは違い、「ヒン」は、生と死の寂しさをこもごもたたえた色である。私が書きたかったのは「ヒン」についての本だった。その本は、私の母が産んだ最初の赤ん坊の記憶から書き起こされるのでなくてはならないと、あのようにして歩いていある日、思った。二十二歳の母は一人で突然赤ん坊を生み、その女の子が息を引き取るまでの二時間、「死なないで、お願い」とささやきつづけていたという。
