山口慎太朗 "わたしがいなかった街で(新潮..." 2026年2月21日

わたしがいなかった街で(新潮文庫)
p.129 「わたしもお店したいな。いろんな人が来てくれて、しゃべれるのっていいですよね」 「向いてなさそうやで」 「どうしてですか?」 「目が、泳いでるから。人と話すときは目ぇ見ようよ。あー、ごめんごめん、厚かましいってよう言われんねん、わたし。ちょっとー、これ、もう一杯持ってきて」  この、なに、人と話すときは目を見ることを良いものとしていて、やんわり他人に強要してくる感じと、それを厚かましいってよく言われるという何のフォローにもなってないただの自己防衛で包んでくる感じが本当に嫌な奴で、柴崎さんの小説に出てくる主人公が苦手としている人って本当に苦手すぎて胃が痛くなってくる。しかし砂羽さんが先に「わたしもお店したいな」と、沈黙を恐れて会話の糸口として放ったそれがきっとお店をしている身からしたらイラッとしたのもあったと思う。しかし苦手な人だからこそ急いで話のタネを放り込みたかったのもわかる。こういう入り組んだ齟齬ってきっと気付いてないだけでたくさんあるね。  柴崎さんの小説に出てくる主人公の周りの人物は徹底して一面しか見えないが(または全面見えているのに一面しか見えていないように感じる)、それはかなり実際の自分の周りの人間の見えている範囲と似ている。信頼できる人なのかできない人なのか、判断しかねる。いつまでも。だいぶ長いこと友達だったやつが実は平気で金を盗む奴だったり、しますね。この物語における中井のことも、良い奴そうに見えるが確定で良い奴という烙印はいつまでも押されない。我々のこのライフと同じように。その状態でストーリーテリングできるそのありえない曲芸、地上百メートルの高さのピアノ線の上で一輪車乗りながらお手玉やってるみたいなわけわからん摩訶不思議にうねる語り。良い奴だったらいいな、と思いながら周りの友達を見ていた二十代中盤のことを思い出して少し泣きました。良い奴とか良くない奴とかそういう型にはめて納得しようとする目つきのことも、なんかそんなんじゃないんだよと優しく&厳しく咎められている気がします。
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