いるかれもん "やっと言えた (シリーズ ケ..." 2026年2月23日

やっと言えた (シリーズ ケアをひらく)
カウンセラーが解説するカウンセリングの本は何冊もあると思うけれど、この本は著者がカウンセリングを受けながら自分自身の解放に向かう過程が書かれている。 著者の自身の感情や変化、記憶の描写が鮮明で、かつ時折フィクションを交えて書いているからだと思うけれど、小説を読んでいるような読み心地だった。 前半で、著者が他人は自分をわかってくれないから本の中に救いを求めていた姿は印象的だった。 「わたしがずっとすがってきた文学は、わたしの唯一の友達であっただけでなく、わたしが新しい世界を信頼するために言葉と力を与えてくれるものだった。」(p.33) 本ってやっぱりそういう作用があるのかと、こうして書かれると説得力がある。 また、他者に自分をわかってもらいたいと思いつつ、同時に誰にも自分は理解されないと感じるということが語られる。 「人が自分の話をするときには必ず「わかってほしい」と願う。わたしは自分の全存在をかけて毎回毎回、自分の言葉で語ろうとしていた。これまで誰にも自分の話をちゃんと聞いてもらえていない、誰もわたしの話を理解してくれはしないという思いがあった。だから切実にわかってほしかった。けれども同時にわかられてたまるものかとも思っていた。」(p.42) 少し違うけれど、私もかつて強い孤独感を抱えていた時期があって、そのときに「誰かに好かれたい。でも、自分が好かれるはずがない。」と思っていて、そんな感覚を思い出した。 カウンセラーとの緊張感のある、ギリギリの交流の末、最後、著者が自らを解放するものが「愛」であると辿り着く。しかし、その愛が叶うとかとういうのではなく、愛を必要としていると言葉にできたことで著者の苦しみが解放に向かうところも印象的だった。自らを表す言葉が見つかることの安心感や開放感はやっぱり重要で、私自身。これからも大切にしたい。 また、後書きで語られた「待つ」ということについての記述も印象的。 「わたしはわたしの話を初めて聞かれたと思った。特に大きかったのは、話を聞き出されるのではなく、「待ってもらえた」という感覚があったことだ。「待たれる」ということは、そこにわたしが「いる」ことを認め、尊重してもらうことだ。「待たれる」ということは、そこにわたしが「いる」ことを認め、尊重してもらうことだ。それは「わたしにとってあなたは大切な人です」というメッセージを与えることであって、互いのその信頼があってこそ「信じて頼る」ことが可能になる。」(p.183) そういえば、積読の中に鷲田清一の「「待つ」ということ」があった。近いうちに読みたいと思う。 以前、同じ著者の「庭に埋めたものは掘り起こさなければならない」を読んだ時は触れることに興味を持って伊藤亜沙の「手の倫理」を読んだ。斎藤さんの本を読むと、新しい本を読みたくなる。
齋藤美衣
齋藤美衣
@mie6262
お読みいただきありがとうございました。 たくさんのご感想、とてもありがたく拝読しました。
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