
ジクロロ
@jirowcrew
2026年2月23日
本居宣長
先崎彰容
読んでる
"どれほど契沖が「やまと」を讃えても、その理論的支柱は、あくまでも「西側」を基準にし、日本書紀を参照してしまっている。では宣長にとって、「日本」の奥底に潜む原風景、太古の日本人が眼にしていた世界とはどのようなものだったのだろうか。それは「山処(やまと)」であった。
……
古事記にある倭建命の歌を参照すると、青山に囲まれた、とてもしずかな国が見えてくる。穏やかな稜線の山々に懐深く抱かれた国こそ、「山処」という響きから吹いてくる古代の風である。"
(p.297)
日本、「やまと」の語源は「山処」であったという
宣長の説。
"『坑夫』を最後に、しばらく(夏目)漱石は山登りを描かなくなった。『草枕』で山を降りる青年を書いた漱石は自然という桃源郷に見切りをつけ、都市社会のなかで生きる人間を書こうとした。『それから』、『門』、『彼岸過迄』といった作品は、そうした自然なき人間社会のなかで生きるための意識を獲得しようとする漱石の挑戦でもあった。
(『生成と消滅の精神史』(下西風澄)p.374 第6章 「夏目漱石の苦悩とユートビア」)
日本においては歴史の変わり目で「山」を失う。
山から降りて、フラットな社会に順応しようと
試みるが、神経を病み、しまいには山へ還る。
原風景を失った者の「行く末」は、原風景であるということ。