みっつー "自分とか、ないから。 教養と..." 2026年2月23日

みっつー
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@32CH_books
2026年2月23日
自分とか、ないから。 教養としての東洋哲学
ゲームの中には自分に合った“難易度”を選択して遊べるものがある。 それは、「EASY」「NORMAL」「HARD」とか、「やさしい」「ふつう」「むずかしい」とか、「赤鬼」「妖鬼妃」「さくま鉄人」などのことである。 私は基本的に「NORMAL」を選択して遊ぶことが多い。 ノーマルと言われているくらいなのだから、制作者的に一般のゲームユーザーが遊ぶにはこれくらいで候、と決めてくれているのだろうし選ばない手はない。 しかし、我々が生きるこの世界はどうだろうか。 学校や会社では閉塞的な人間関係に疲れ、SNSのさまざまな意見に疲れ、繰り返すだけの毎日に疲れ、疲れすぎである。 人生の難易度設定は「HARD」である。 なぜだ。 初期値が「HARD」のゲームなんて認められない。そんなのクソゲーだ。「NORMAL」だ、「NORMAL」を連れて参れ。「EASY」でもよい、自動的に金が口座に振り込まれればなおよい。 そんな「メンタル戦国時代」の真っ只中にいる私たちはふと「虚無」を感じる。 がんばりたいのにがんばれない、もうどうでもいいや、なにもしたくない、なんの意味もない、そんなの関係ねぇ。 部屋でボーッとしてても時間は止まらない、残酷にも進み続けている。 だから、動かなくてはいけない。 けれど、頭と体のどっちかがいうことを聞かない。 そうなってしまったのなら、ようこそそこは「虚無の世界」だ。 「虚無の世界」にやってきてしまったあなたは、どうやってここから抜け出せばいいのだろうか。 そんなときは東洋哲学に手を出してみよう。 東洋哲学はインド、中国、日本などで産まれたもので、基本的には「どう生きればいいか」というのがテーマらしく、「答えがない」といわれがちな哲学だけれど、東洋哲学に関してはしっかりとした「答え」もある。 例えばインド哲学の有名人といえばブッダである。 ブッダは王子だし、めちゃくちゃお金持ってるし、頭もいいときてる。 なんか、顔もいいらしい。 全てにおいて恵まれていたはずのブッダですら、その実、半端じゃない虚無感に襲われていたという。 王子とはいうてもただの「恵まれた無職」だったブッダは「この人生にはなんの意味があるんだ?」「本当の自分ってなんだ?」みたいなことばかりを考えていた。 考えまくった挙句にブッダが取った行動とは「出家」である。 王子が家出して「出家」である。 「恵まれ無職」から「ホームレス」へと華麗なジョブチェンジを遂げたブッダは自分探しの旅をするために修行をしまくった。 中には「トゲで作ったベッドで寝る」とか「めちゃくちゃ髪の毛をむしりとる」とか「めちゃくちゃ息を止める」などといった体張りYouTuberのような修業すら存在している。 そんな苦行を6年間続けたブッダはふとこう思った「これ、もしかして意味ないんじゃね…?」と。 そのとき出会ったスジャータという女性におかゆをご馳走してもらったブッダは、回り始めた頭脳からある答えを導き出す。 それが「無我」だ。 それは「自分」とはただの「妄想」で、本当は、この世界は全て繋がっている。などと供述。 自分も、世界も、変わり続けていっているのに「自分を探す」なんて無茶をまだいってるんですか?といった話なのである。 そんなん苦しいに決まってるじゃん、と。 この「無我」が巡り巡って色々な考え方につながっていくのだが、そこは本書を読んでいただいて。 東洋哲学齧りたての私にはまだ噛み砕けていない部分が多いけれど、何よりも読み物として、この本はめちゃくちゃ面白いのだ。 著者であるしんめいPさんは東大卒で、有名企業にも所属したりしていたのにも関わらずチームプレイができずに退職。学生時代に先生から面白いと言われたことを思い出し、芸人を目指すも、自分が全く面白くないことに気づき、それも辞め。その後、実家に戻り子供部屋おじさんをしていたという。その間に離婚もしていたらしい。 なんて赤裸々な文章なんだ。 そんなしんめいPさんを救った東洋哲学、興味ありまくりである。 おかげさまでとても興味が湧いたので、別の東洋哲学の本もしっかり読み込んで、この本に戻ってきたいなぁ。 個人的には「インドの論破王」としんめいPさんが言っていた「龍樹(りゅうじゅ)」という人が気になっている。 初めての「推し」哲学者ができたかも。
自分とか、ないから。 教養としての東洋哲学
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