石坂わたる "若きウェルテルの悩み" 2026年2月24日

若きウェルテルの悩み
若きウェルテルの悩み
ゲーテ,
酒寄進一
「ぼくらが平等ではなく、そもそも平等になることなど不可能なのはわかっている。 それでも、威厳を保つために庶民から距離を置くことが必要だと考える奴はろくでなしだ。負けるのが怖くて敵から逃げる臆病者と同じじゃないか。」 「それなりの身分の者は庶民に冷たい態度をとって距離を置く。近しくなるのは身のためにならないとでも言うように。その一方で、へりくだってみせることで、かえって貧しい人たちに尊大な奴だと思われてしまうこともある。」 「喜んで白状するけど、だれよりも幸せなのは、子どものようにその日その日を生きていける連中だ。人形を連れ歩いて着せ替えをしたり、母親がいつも菓子パンをしまっておく引出しのあたりを虎視眈々と歩きまわって、望みのものを手に入れたらすかさず頬張り、「もっとちょうだい」と声を上げたりする。こういうのが幸せな人種さ!くだらないことや夢中になっていることに、たいそうなタイトルをつけて、これぞ人類安寧のための大事業なりと嘘く連中もおめでたい奴らだ。そんなことが言える御仁は幸いなり!だけど、謙虚になって、こんなことがいったいなんになるんだと考えてしまう人もいるだろう。そういう人なら、自分のささやかな庭を夢の楽園にしようと勤しみ、運に見放されても不平を言わずに重荷を担いで自分の道を歩く幸いなる市民がいて、一様に少しでも長くお天道様を拝もうと汲々としていることに気づくはずだ。そうだろう!そういう人は黙って自分だけの世界を作りあげる。これまた幸せなことだ。それこそ人間なのだから。」 「ほかの人から見て、ぼくにどういう魅力があるのかわからないけど、たくさんの人が気に入ってくれて、親しくしてくれる。だけど道を同じくできるのはごく短いあいだだけだ。じつに残念でならないよ。そう言うと、そこに暮らすのはどんな人たちなんだい、ときみは気にするかもしれないね。どこも同じと言うほかないさ!人間なんて所詮同じ。 たいていの人は生きるために汲々としている。残された自由時間なんてほとんどない。 それでも時間を持て余して、あらゆる手を使って浪費しようとする。これは人間の性 だな!」 「この世でぼくの心に最も近しい存在は子どもだ。子どもを見ていると、小さな存在に美徳の芽や、いずれ必要になるさまざまな能力の芽があり、それが開花するのがわかる。わがままな性格には、将来身につけるだろう不屈の精神が見てとれるし、奔放さには、この世のあらゆる危険をかいくぐるユーモア感覚と身軽さの片鱗がある。なににも毒されていない、ありのままの姿じゃないか! 毎度、人類の師が宣った金言が脳裏を過ぎる。 『子どものようにならなければ』 ところで、ぼくらと同等であり、むしろぼくらが模範とすべき子どもたちを、大人は下に見る傾向がある。子どもに意志などあるはずがないだって?一大人にだってないじゃないか。大人が特権を得られるいわれはどこにあるんだ?一大人の方が歳をとっていて、賢いからかい?一 『天にまします主よ、この世にいるのは歳をとった子どもと年若い子どもだけ。それ以外はいません。どちらがあなたにとって喜ばしいか、あなたの子イエスが答えをだしています』 ところが、みんな、イエスの存在は倍じても、その言葉には耳を貸そうとしない。 昔からそうと相場が決まっている。そして子どもたちを自分と同じように育てる一」 「『自分を律することなんてできるものでしょうかね。自分の感情を意のままにするな んてむりでしょう』……牧師も話に加わろうとして熱心に聞き耳を立てていることに気づいた。 ぼくは彼にもわかるように声を張りあげた。 『人間のさまざまな悪癖をいましめるお説教はありますが、不機嫌を礼す説教はいまだかつて聞いたことがありませんね』」 「『人はよく、よい日はすくなく、いやな日が多すぎると嘆きますね』ぼくはそう言って、口火を切った。『しかし、たいていは正しくないと思うんです。神が毎日授けてくれるよいことを素直に享受するなら、災いが起きても、充分に耐えられるはずです』 『けれども、気持ちというのは思うようにならないものですよ』牧師夫人が応じた。 『体調にも左右されますしね!具合がよくないと、なにをやっても満足できないものです』 ぼくはその意見にうなずいて言った。 『それなら病気と見たらどうでしょう。そして治す薬はないかと考えてみるんです!』 『一理ありますね』ロッテが言った。『気の持ちようってあると思うんです。』」 「すごいことやありえないことをする非凡な人間は、えてして自分に酔っているとか、正気をなくしていると昔から言われているからね。 だけど、自由で気高く、予想を覆す行動に出た者を自分に酔っている愚か者だと陰口を叩くのは、普段の生活でも聞くに耐えないことだ。きみたち理性のある者は恥を知るべきだ。きみたち賢者は恥を知るべきなんだよ」 「しかしい。美しどんな事情があるか、どのくらい調べてみたんだい?それがなぜ起 ったか、その原因をきちんと説明できるのかい? そうするなら、そんな性急に判断を下したりしないはずだ」「きみも認めることだろうが、ある種の行為は、動機の如何にかかわらず、罪悪たり うるものだよ」 ぼくは肩をすくめて、同意しつつこうつづけた。 「けれども、そこにも例外はある。たしかに盗みは罪悪だ。しかし自分と家族を餓死から救うために盗みをはたらいた人間には同情すべきだと思うが、やはり罰するのかい?不実な妻と不届きな間男に当然の怒りをぶつけて死に追いやった夫に、だれ が石を投げるかな?歓喜に満ちたひと時に、愛の喜びを抑えきれずに我を忘れた娘がいるとして、それを責められるだろうか?法律という冷酷な代物だって、心を動かされて、罰することを控えるだろう』 『それは別の話だ。激情に駆ら』れた人間は自制心を失ってしまう。自分に酔っていたり、正気をなくしたりした者と同じだ」 『分別のある人間はこれだからな!』ぼくは微笑みながら叫んだ。」 「作家が自分の物語を改訂すると、文学としての出来映えはよくなるかもしれないが、どうしても作品を損ねてしまうってことをね。 第一印象は好意的に受けとめられるものだ。」 「『ネーデルラント連邦共和国がちゃんとおれに報酬を払ってくれりゃあ、こんなに落ちぶれちゃいない!すごい時代だったよ。俺は羽振りがよかった。だけど、いまはこの体たらくだ。俺はもう』 涙をこえて天を仰ぐまなざしがすべてを物語っていた。」 「見ろよ、おまえはこの家にとってどういう存在か。ここに住む友人たちに敬愛される存在だ!ふたりの喜びの源であり、おまえ自身もふたりなしにはいられない。だけどーもしおまえがいなくなったら、どうだ?この友だちの輪から出ていったら、どうなるだろう?おまえを失うことで、自分たちの運命にぽっかり開いたうつろな気分を、ふたりはいつまで感じるだろう?いったいいつまで?1ああ、人間は儚い存在だ。この世に存在したという生きた証を、愛する者たちの思い出や魂にはっきり刻みつけたとしても、消えてなくなるほかない。しかも時間をかけずに!」
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