さや "夏目漱石こころ" 2026年2月22日

さや
さや
@saya_shoten
2026年2月22日
夏目漱石こころ
相手と同化して理解した気になる危うさ。覚えがあるから印象に残った一文。 p82. 私は仕舞にKが私のやうにたつた一人で淋しくてしかたがなくなつた結果、急に所決したのではなからうかと疑ひ出しました。 「私のように」「私なら」こう思うから、相手もそうだろう、そうかもしれない、というのが相互理解のゴールだと学校で習ったけど、スタートなんだよね。 たった一人で淋しくてたまらず、命を絶った---。つまり、「孤独」です。その「孤独」とは、単純な淋しさを指しているのではないとわたしは思います。おそらくもっと深い、複雑な意味での孤独。 p86. そしてその迷いを唯一まるごと肯定してくれる可能性のあった親友にもぴしゃりと背を向けられました。これが、Kの味わった孤独です。そして、自分に残されている道は「死」よりほかにないと思ってしまったのです。絶望と言ってもいいでしょう。暗闇の中に一人取り残されて、頼るものが何もない、凍りつくような孤独です。 相手からバウンダリーを引かれてるだけなんだろうけど、背を向けられる感覚、覚えがあり過ぎる。私のように相手は私を理解しようとはしない。それに気が付くのにものすごく時間が経った。 p106. この「こころ」も、教養小説としても読め、純愛小説としても読め、友情小説としても読め、同性愛小説としても読め、どうとでも読めてしまいます。なぜ多義的に読めるかというと、漱石は「謎を投げ出す」だけで、「謎とき」をしないからです。なぜ謎ときをしないのでしょう。それは、おそらく謎ときをしないのが文学だからです。謎ときをしたらミステリー小説になってしまいます。 もう一つ言えば、人の心は闇だから、でしょう。どう分析しても、究極のところ人の心はわかりません。逆に言えば、暴こうとしても暴くことのできないのが人間です。そんな人の心の不可思議を、漱石はこの小説で描こうとしたのかもしれません。
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