
本屋lighthouse
@books-lighthouse
2026年2月26日
時間の比較社会学
真木悠介
読んでる
なんだか結局気になってしまってすでに読み始めている。我々の持つ時間感覚においては、どうやら過去と未来は無限に伸びていくものであり、それゆえに最終的にはどちらも「虚無」に感じられてしまう、らしい。過去にはもう戻れない、その過去が無限に存在しているという恐怖。なにも成すことができずに死んだあとにも永遠に続いていく未来がある、だから虚しい。そのような前提があり、その恐怖や虚無をある程度克服したり仲良くなったりするためにはどうすればいいのか、というテーマでとりあえず読んでみている(著者もその意識を持っていたかは知らん)。
ムビティはアフリカの「暦」についてつぎのようにいう。
一年の正確な日数を問う事は見当はずれである。一年は日数によってではなく、出来事によって数えられるものだからである。だからある年は三五〇日かもしれないし、他の年は三九〇日かもしれない。(p.83-84)
「牛時間」は出来事によって時が定められる。たとえば牛がごはんをたべたから朝、牛が散歩に行って戻ってきたから昼、みたいなこと。朝だからごはんをたべるのでもないし、昼だからそれまでに散歩に行って戻って来ないといけないのでもない。
時間という概念が先にあり、その中で「やるべきこと」を設定すると、その目標が達成できないことは失敗とみなされる。しかし「やるべきこと」がまずあり、それがなんらかの形で「終わった」とみなされたことによって時間が後追い的に認識されるのであれば、我々が「失敗」と感じることは少なくともひとつ、つまり「時間内に終わらせることができなかった」という落胆は存在しなくなる。どうやったって「時間」の枠組みから逃れられない現代社会を生きるからこそ、このような感覚を取り戻す必要があるように思える。





