
はな
@hana-hitsuji05
2026年2月27日
マンガで読むジェンダー入門
ジュールズ・シール,
メグージョン・バーカー,
松丸さとみ
読み終わった
図書館本
図書館で借りた
時々文章に読みづらさを感じる部分があって少し停滞しながら読んだ。
そういえば物事は必ず最低でも表と裏の2面はあると思いながらも、その一方で全ては多面的でグラデーションがあるとも思っていたじゃないかと改めて感じながら読み進めた。
ハリーポッターの作者と出演者たちの間でトランス女性の定義についての議論が持たれていたことを思い出す。
私も以前、女性の競技でトランス女性が優勝したら身体的にフェアなのか?とか、女性トイレに入ってきた人が女装した男性なのかトランス女性なのか、とか考え込むことがあった。
自分が女性自認で生きてきて脅威を感じた男性に対する記憶から、過剰?過敏?の防衛みたいな気持ちもある気がする。
身体の性が自認する性と違うという違和感が正しく?マッチしたら問題は解決するわけじゃない。
そもそも、色んな決定や自認や感覚さえ、家父長制、資本主義、植民地主義が織り混ざって受け継がれてきたもので、そういう私たちが思うそれぞれの性別らしさも作られて名付けられてきた。それが自分の感覚と一致しなくても、誰か(抑圧者)が名付けたものに従って判断するのか?二元論的なものがない世界だって確かに存在していたのに?
「女性の自尊心が他者からの承認と結びついている」という部分から目が離せなかった。
自分の人生の苦しいエッセンスはこれだったかも。
「p163 抑圧者は、自分の立場を維持しつつ、自分の行動に対する責任は逃れています。このような構造では、エネルギーを常に消耗しますが、そのエネルギーは、自分自身を再定義し直したり、今を変えて未来を作るための現実的なシナリオを考えたりすることに使った方がいいでしょう」
自分も身に覚えがあったり知識や経験で知っていたことが、そこからもう一つ奥の、自分だけでは手の届かない部分をすくいあげられて目の前に差し出されるような感覚だった。
特に「ジェンダーの痛み」についての記述が興味深かった。自分が受けた痛みについて、間違った相手を責めてはいないか。それについてずっと考えてる。








