靴下ぬぎたい "あらゆることは今起こる" 2026年2月27日

あらゆることは今起こる
小説家・柴崎友香がADHDの診断を受けて感じたことを書いている。 この本と並行して読んでいた『キリスト教入門/山我哲雄』の本のはじめに書かれていた文章。「現代社会において、最も重要なことの一つは、自分たちのものとは異なる文化や文明を適切に理解し合い、異なる文明や宗教に属する人々が平和的に共存協力し合うために、相互に対話し、お互いに尊重し合うということでしょう。」 どんなジャンルの話でも、どんな環境でも、まずはこの精神だよな。 同じケアをひらくシリーズの坂口恭平の『躁鬱日記』を読んだ時にも感じたことだが、全く関係のない人の話だとはならず、少なからず自分にもこの要素はあるよなと思うことが(多々)見つかる。 部屋が片付けられない、マルチタスクすぎる、荷造り苦手、頭の中がうるさい… でも、どれもこれも全てのADHD人に当てはまるというわけではなくて、いろんなタイプがあるのだと知る。チェックリストにいくつチェックが付いたから確定とはならない。まぁそりゃそうか。風邪だって人それぞれ症状が違う。 それにしても最近はなんでもかんでも名付けたがりすぎるよなぁとも思う。そもそもなんのために診断を受けるのか。それは本人自身が解決策を知り、より楽になるために診断を受けるとも書かれている。こうすれば楽だ!というライフハックのような軽いものが多すぎる世の中な気もする。 少し前に読んだ『女二人のニューギニア/有吉佐和子』に出てくる独立前のパプアニューギニアに暮らす人たちは、常日頃だらだらと寝転んだり、なんか食べたり、指示しても言うこと聞かず…という描写が多くて、今の世の中からしたらそういう人の判定を受けそうな気もする。でも彼らは困っていなかったし、そもそも人としてどうあるべきなのかは世の中の環境に左右されすぎてる気もする。その環境におけるあるべき姿から外れているだけでそういう人認定を受ける世の中はどうなんだろう。でもそういう人認定をしたくなる時もあったりもする。 自分の立場を固定させた上で、揺らがない発言をするだなんて無理だな。そんなことを思えただけでもまずは尊重の第一歩とするか。 色々な例えや、他の国の言語について書いてある部分も面白かった。(fatigue!)
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