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靴下ぬぎたい
@tumemura
  • 2026年4月8日
    ちょっと踊ったりすぐにかけだす
    日々いろんなことがある。軽口な会社のおじさんにイラついて顔を熱くしたり、喧嘩した翌日に何も言わずに家を出ていった恋人に「怒ってても挨拶ぐらいしろよな!」と叫んだり、久々のホテルランチというものに緊張しながら一張羅を着て行ったり。選挙の日に雪降って、小学校の校庭で遊んで、その晩から熱出したり。 と、今日は感情が大きくうごめいたな!と思うことだけが生活でもなくて、日常というのは地味でいて、滋味なものだと思う。 風が強い日に干しちゃった麻のシャツが飛んでいかないように祈りながら帰ったり、副都心線の運転手のマイクが入りっぱなしでひとりほくそえんだり、ゴルフボールで足の裏コロコロするのは立ってやっちゃだめらしい!と偉そうに報告したり、パスタは麺がうまけりゃ大抵うまいとうなずき合ったり。地味すぎるか。こういう友達と会って話す時には盛り上がらなさそうな日常の小さなネタが大好き。でも共有する人はいない。 古賀さん一家の地味・滋味だな!(これは最高の誉め言葉です) もちろん、超大きなことがあったかもしれないけど、地味・滋味な方を大事に書いている。ユニークな家族の毎日というよりかは、ユニークな個人と個人が一緒に暮らしたらこんな化学反応があった、みたいな実験室暮らしのようにも感じる。このお家で合宿してみたい。息子さんがベジタリアンやってみたいと言い出した時もふ~んって感じで見守っているその距離感も羨ましい。眺めている、みたいな。 自分自身の地味・滋味生活のことも抱きしめたくなった。なんか~~生活ってかわいいよね。そしてこういうことを中心に日々書き留めておくことの素晴らしさよ。
  • 2026年3月15日
    粉瘤息子都落ち択
    粉瘤息子が都落ちする択を取るって話。 なにを言ってるかわからないでしょう。そんなタイトルみたいな、なぁに言ってんだか/やってんだかって日々が怠惰に続く。その日々にスパイスみたいな事件が起きるけどそれもなんなの?って思っちゃうようなことだった。と批判ぽく聞こえるかもしれないけど、これは誉めています。 わたしも体験したことのある、怠惰なある時の記憶がぶわっとよみがえった。よみがえったところで別になにもないのだけど。 半年前に引っ越しをした。大学2年の時から14年住み続けてしまったワンルームの部屋から。20代はずっとそこにいた。他の人からみたら本当に映えない生活だったなと思うし、今もう一度20代をやり直せるならあんな過ごし方をしないだろうという日々が多かった。けど、そんな日々もかけがえなくて!とも言えなくて、あぁなぁにしてたんだかってこの先も思うだろう。若さの価値を知ってか知らずか、ぶん投げてきてしまった。そんな日々を持ってるからこの文章が刺さっちゃった。 「しょうもない八年だったなとノスタルジー以下の何かに浸るだけだろう。あってほしかった愛も豊かさもなく、主に怠惰とたまにある勢いだけの日々に。」 宇多田ヒカルの『traveling』、t.A.T.u. マウンテンデュー…これまた刺さっちゃうワード。同世代ぐらいなのかな。 読み終わってもあの日々が良かったなんて思わないよ。でも2時間半の超たのしいドライブに連れ出してくれてありがとう。ぶっ飛んだ!
  • 2026年2月27日
    あらゆることは今起こる
    小説家・柴崎友香がADHDの診断を受けて感じたことを書いている。 この本と並行して読んでいた『キリスト教入門/山我哲雄』の本のはじめに書かれていた文章。「現代社会において、最も重要なことの一つは、自分たちのものとは異なる文化や文明を適切に理解し合い、異なる文明や宗教に属する人々が平和的に共存協力し合うために、相互に対話し、お互いに尊重し合うということでしょう。」 どんなジャンルの話でも、どんな環境でも、まずはこの精神だよな。 同じケアをひらくシリーズの坂口恭平の『躁鬱日記』を読んだ時にも感じたことだが、全く関係のない人の話だとはならず、少なからず自分にもこの要素はあるよなと思うことが(多々)見つかる。 部屋が片付けられない、マルチタスクすぎる、荷造り苦手、頭の中がうるさい… でも、どれもこれも全てのADHD人に当てはまるというわけではなくて、いろんなタイプがあるのだと知る。チェックリストにいくつチェックが付いたから確定とはならない。まぁそりゃそうか。風邪だって人それぞれ症状が違う。 それにしても最近はなんでもかんでも名付けたがりすぎるよなぁとも思う。そもそもなんのために診断を受けるのか。それは本人自身が解決策を知り、より楽になるために診断を受けるとも書かれている。こうすれば楽だ!というライフハックのような軽いものが多すぎる世の中な気もする。 少し前に読んだ『女二人のニューギニア/有吉佐和子』に出てくる独立前のパプアニューギニアに暮らす人たちは、常日頃だらだらと寝転んだり、なんか食べたり、指示しても言うこと聞かず…という描写が多くて、今の世の中からしたらそういう人の判定を受けそうな気もする。でも彼らは困っていなかったし、そもそも人としてどうあるべきなのかは世の中の環境に左右されすぎてる気もする。その環境におけるあるべき姿から外れているだけでそういう人認定を受ける世の中はどうなんだろう。でもそういう人認定をしたくなる時もあったりもする。 自分の立場を固定させた上で、揺らがない発言をするだなんて無理だな。そんなことを思えただけでもまずは尊重の第一歩とするか。 色々な例えや、他の国の言語について書いてある部分も面白かった。(fatigue!)
  • 2026年2月19日
    ヤンキーと地元
    パシリとしての参与観察。 出来ないことで借りを作り、時間で貢献することで貸しを作る。 暴力と女と金の世界が続く。読んでる間のほとんどの時間が苦痛だった。当事者たちは望んでその世界で生きてるわけでもなく、(もちろんそういう人もいるだろうけど)生き抜くための選択なのも辛い。 またなによりも辛いのはたくさんの登場人物が出てくるのに、みな似たような、私とは生きる世界が違う人と思ってしまうこと。中学受験をして、地元の中学には行かなかったけど、行ったらこんな会話もきっと聞いただろうな、と想像した。でもその想像も自分と切り分けるような想像であって、と言い聞かせるけどそこにとどまってしまう。 文芸坐で観た「Aサインデイズ」での激しさも思い出した。沖縄はなぜこの激しさがあるのかを知りたかった。
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