絵美子 "話の終わり" 2026年3月2日

絵美子
絵美子
@835emiko
2026年3月2日
話の終わり
話の終わり
リディア・デイヴィス,
岸本佐知子
主人公の女がとある年下の男と出会って別れ、別れた少しあとまでのお話。なのだけれど作家、翻訳家である書き手の現在の近況やこの小説の進捗、どのように書き進めて何処でつまづいているか、当時の彼や彼について思いを巡らせる自分をメタ的に眺めるわたし等、様々なわたしが登場する。 感情的な文章は無く、淡々と冷徹に語られ、ウミイチジクが生えている様子も彼や私の喧嘩での態度も同等の事象、現象のように書かれている。 初めの方と中盤すぎに出てくるページがすきで読み進めては戻って読み返したりした。 「 まだ何ひとつ始まっていなかったあの時間こそが、ある意味では最良の時だったのかもしれない。二本めのビールを開けたとき、私たちは秋の終わりから冬にかけて起こったその後のすべての出来事もいっしょに開けてしまった。けれどもまだ二本めを開けずに座っていたあの島のような時間には、幸福だけが二人の目の前にあって、二本めを開けないかぎり、それは始まらずにいつまでもそこにあった。」 「他人と暮らすと、自分がいかに身隣手かを思い知らされる。他人を愛することも私には難しいが、こちらのほうはだいぶ上達しつつある。(中略)たとえばテーヌは、愛するということは他者の幸福を自分の目標にすることである、と言っている。私はこれを自分の場合に当てはめてみた。だが、もしも愛するということが他人を自分より優先させることだとするなら、そんなことはとてもできそうにないと思った。とるべき道は三つあった。他人を愛することをあきらめるか、身勝手をやめるか、身勝手なまま他人を愛せる方法を見つけるか。最初の二つはとてもできそうになかったが、ずっとは無理にしても、休み休み誰かを愛せる程度に身勝手でなくすることなら、できるようになるかもしれないと思った。」 何事も始まれば終わると常々感じているし、終わらせたくなければ始めなければよいが、始めないとわからないことも多々ある。始めようとしてわざわざ始めるなんて事はないだろうし、何処が始まりだったのかは終わってからでないとわからない。でも終わってみるとわかるし、そのどれも全く不思議な事では無いと思った。
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