
sunroom
@marumaru_
2026年3月3日
批判的日常美学について
難波優輝
@ カフェ
「第5章 分かり合わないことの美学 不同意コミュニケーション論」を読む。「分かり合うこと」をよしとして、不同意というものは【大概は同意に至る経路で必要とされてあるだけ】。著者は豊かな不同意が自分にとっては魅力的なコミュニケーションだと書いている。
たしかに、分かり合うことをゴールに設定してその過程で起こる分かり合えなさは仕方がない、あんまり好きじゃないしこわいことすらあるけどまああるよな、くらいに思っていた。分かり合えない人とのやりとりを諦めてしまっていることもある。ネガティブな印象のもの。でも、分かり合えない、不同意であることでこそはっきり見えてくるもの(自分が置き去りにしているもの、自分の触覚的な感覚)ざあり、そこに喜びを感じるという視点は自分の中に持ちたいものだった。
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哲学者たちは、何か一つの真理に一足飛びで行き着くことを夢見ているというよりも、異なる立場の人びとの思考を互いに交換しあい、そうしながらも不同意を発生させ続けることで、世界全体の理解を深めようとしている。
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責任ある形での不同意が発生した瞬間、私は会話相手との距離を感じ、何より、自分の精神の輪郭がはっきりするのを感じる。(略)ともかく、自分の精神がどんなかたちをしているのか。ざらざらしているのか、やわらかいのか、とんがっているのか、そうした触覚的な感覚が明晰になる感覚が不同意にはあるのだ。第一の不同意の美的な喜びは、自分の輪郭の明確化だ。
