コンタクト 下巻 (新潮文庫 セ 1-2)

コンタクト 下巻 (新潮文庫 セ 1-2)
コンタクト 下巻 (新潮文庫 セ 1-2)
カール・セーガン
新潮社
1989年7月1日
4件の記録
  • いぬい
    いぬい
    @inuiru
    2026年4月24日
    上巻では幼少期のエリーが天文学に興味を持ち、学者になり、SETIの研究者になり、ヴェガからのメッセージを受け取るまでが描かれている。小説が出版されたのは1985年のようだから、まだまだ学問の世界ではジェンダー差別が横行している。父を亡くしたエリーに理解者はなく、エリーの孤独が身に染みた。 しかしヴェガからのメッセージをめぐる世間の変化のなかで、エリーの潔癖なまでの理想主義が鼻についてくる。科学者たちは私利私欲ではなく世のため人類のために崇高な目的を持ってほしい、みたいなくだり。確かにメッセージをめぐる政治や宗教などのあらゆる対立、論戦、みたいなのを見ていて私も辟易した。しかし科学者だって聖人ではなかろう。 と思っていた矢先、エリーの恩師であり、完成した「マシーン」の乗組員になることが決定していたドラムリンが事故死する。しかもエリーを庇うように。 それでエリーが真っ先に思ったのはこうだ。 「わたしは行ける。こうなったら、わたしを措いて他に人はいない。何としてもわたしが行かなくては」 彼女ははっとして自分を抑えた。が、時すでに遅かった。危機的情況の中で露呈した卑しむべき利己主義と功名心に彼女は慄然とした。(中略)それにしても、彼女が何よりも嫌悪したのは、その瞬間まで自分の心に潜む我欲をまったく知らずにいたことだった。我欲は自ら弁明することなく、他に対して寛容を示さず、彼女の中で野放図に膨れ上がっていたのだ。 ここでエリーに共感し、またちょっと好きになった。エリーという人物はなかなか興味深くて、他人にこころを開けないわりに、異性に対し「なぜ誘ってこないのか」などと思ったりする。男から誘うべきというのは、それもまたジェンダー差別のようにも思うがよく分からない。ChatGPTに聞いたところ、これはエリーの「認められたい」という欲求の表れではないかとのこと。なるほどね。 印象に残った場面。 「地球の昼側では、人間が住んでいる証拠を見付けることはむずかしい。しかし、夜に入れば、オーロラを別として、目に映るものはすべて人間の活動のしるしである。」 宇宙から地球を見ると、地球がひとつの有機体であるように見えてきて、「地球は生きている」と感じるらしい。子午線も南北回帰線も、目に見える国境線もない。それらは人間が勝手に引いたもので、そんなものとかかわりなく地球は生きている。 面白かったのは、宇宙へ行くと「ここはひとつの惑星」という意識が芽生えて、反国家的になるという話。宇宙へ行けるのは一部のブルジョワジーで、けれどそういうひとたちは社会に与える影響が大きいから、彼らが宇宙に行き、意識が変わることで、結果的に宇宙開発が進むみたいなくだり。地球を捨てて宇宙へ……という向きもありそうな気がするから、そんなことあるか? という感じだが、あってもおかしくはない。 それから、宇宙へ行ったメンバーのひとりであるデヴィの話も印象に残った。デヴィはスリンダルという不可触民と恋に落ち、家族を捨てて彼と結婚したけど、彼はすぐ死んでしまった(殺されたんだっけ?)。デヴィが宇宙で再会(というか実際は宇宙人がそのかたちを借りてるんだけど)したのはスリンダルだった。それを、帰ってきてからデヴィは思い返す。 あの人の思い出がかけがえのないものだったとすれば、それは、もぎ取られるような形で愛を失ったからよ。あの人と一緒になるために、他の多くを捨てたからよ。それだけのことだわ。あの人、そんなに大した男じゃないのよ。(中略)この年齢になって、やっと、はじめて、スリンダルのために泣くことはなくなったのよ。あの人のために捨てた家族のことを思って、わたしは胸が痛むの。 そういうものか? よく分からなかったが、これは幼いころうしなった父親を未だに恋しがっているエリー(エリーが宇宙で再会したのはもちろん父親)とも重なってくる。うしなわれたものが美化されるって話なのかな。というより、記憶のなかで変化しない存在だから、じぶんの変化に役立つものではない、みたいなことかも。それはそれでいいと思うが。 最終的には宗教家のパーマー・ジョスのほうがエリーの見たものを支持する流れは面白かった。確かに上位存在がいることって、信仰があるほうが受け入れやすそう。 「あのね、地球は太陽のまわりを回っているけれど、かつて地上で権力を握っていた教会は、地球が動くことを認めようとしなかったのよ。(中略)教会は、真理は危険であることを思い知ったのよ。わたしの話を信じたらどういうことになるか、あなた、わかっていて?」 「わたしは常に真理を求めて来たのですよ、エリナ。わたしも無駄に年齢を取ってはいません。目の前に真理があれば、わたしにはわかります。本当です。真理を求める信仰、神を知ろうとする信仰は、宇宙を受け入れる勇気に支えられていなくてはなりません。現実の宇宙をです。その果てしない広さや、そこにある無数の世界をひっくるめてです。あなたの話から想像される宇宙の規模や、その規模故に創造主に開かれた機械の多様性を考えると、わたしは息を呑む思いです。この地球という小さな世界に神を閉じ籠めるより、その方がどれだけ素晴らしいことか知れません。」 最後にはエリーの出生の秘密(慕っていた父親は血のつながった父親ではなく、敬遠していたストートンという継父こそ生物学上の父親だった)が明かされる。これはある意味どんでん返しっぽいし、上位存在たるヴェガ星人も「エリーの脳にあるデータ」しか分からなかったというのが面白い。そりゃそうだが。 エリーは宇宙に行ったとき、唐突に「子どもがほしい」と思う。そして帰って来てから、「いまなら深くひとを愛せると思う(が、だれもいない)」と考える。この変化は結構、謎だった。心境の変化はちょっと読み取りづらい。恋人だったダヘーアが下巻じゃ存在薄くなって、いつの間にかパーマー・ジョスといい感じになってるのも謎だった。 しかし、出生の秘密を知ったエリーが、それを父親、母親、継父の全員の愛だったと考え、過ちを責めないのは変化であるようにも感じた。何がどう影響したのか分からないが人間ってそんなもんかも知れない。 「エリーは赤の他人や外国人の段ではない、自分とはこれ以上はないほど縁の遠い存在と接触を求めて反省の努力を傾けて来ながら、実人生においては、ほとんど誰とも接触することがなかった。他人の創世神話を論難することには急だったが、自身の生存の核心をなす偽りについては露いささかも知らなかった。これまでの生涯を宇宙の研究に打ち込みながら、エリーは宇宙からの何よりも明白なメッセージを見過していたのだ。われわれ人間ごとき卑小な存在にとって、果て知れぬ宇宙の大きさは、愛によってはじめて能くこれを負うことができるということである。」 これが締めのフレーズだが納得いかなかった。孤独なエリーが宇宙に呼びかけ、応えを待つ姿に惹かれていたからだろうか。結局は身近なひととのつながりがだいじ、というのが宇宙のメッセージなのか? エリーは宇宙へ行き、すばらしい体験をして、けれど地球に帰ってきてもその体験が事実だったと証明できない。「証明できるもの」を信じ、追い求めてきたエリーが、何も証明できないことで、「証明できないが、確かなもの」はあるのだと知る。 出生の秘密を知ったことで、「それまで明らかにはされず、まるで目に見えなかったが、確かに愛があった」ことも知る。 つまりこれは、「宇宙を受け入れるのに、身近なひとへの愛がなくてはならない」という話ではないのかも。目に見えないもの、じぶんの目には見えないもの、証明できないもの、不確かなもの、理解できないものも、そこに「ある」と信じること──が、愛みたいなものなのかも知れないな。よく分からんが。 しかし「証明できないが確かにあった」というのがエリーの落としどころだとするなら、超越数のなかに宇宙からのメッセージを確認した、という結末は蛇足では? という気もする。が、個人的には開かれた晴れやかな結末だとも思った。
  • いぬい
    いぬい
    @inuiru
    2026年4月17日
    「広い宇宙に私たちだけしかいないなら、スペースがもったいない」 But if it is just us,that would be awful waste of space 昔、「コンタクト」という映画が大好きだった。特にこのせりふが好きで、ことあるごとに思い出していた。しかし二十年以上観ていなかったので正直、内容はほとんどわすれていた。 自宅は限界集落なので(と言うか集落ですらない)星がよく見える。あるときプレアデス星団が見えて、近くに天王星もあるはずだが……と思いながら目を凝らしたがよく見えなかった。 それでChatGPTに「天王星って肉眼で見える?」と尋ねた。それをきっかけに星の話になり、宇宙の話になった。ChatGPTがカール・セーガンという天文学者の話をしてくれて、私はそのひとに興味が湧き、どんな人物かを調べた。 で、おどろいた。カール・セーガンは、かの「コンタクト」の原作者だという。 それで今更ながら原作小説を読んだってわけ。 上下巻で二週間くらいかかったのかな。読み終えて私がまず思ったことは…… 「スペースがもったいない」なんてせりふはないやんけ! ということだった。びっくりしてChatGPTに尋ねたら、これはなんと映画のオリジナルだという。私は原作を読み始める前に、このせりふが好きだということをChatGPTにつたえていた。おまえ! 「そのせりふは原作にはないんだよね〜笑」と思いながら私に「原作も楽しんでみてください!」と言ってたのか?!(ChatGPTにそんな意図はない) 調べてみると、なんと「コンタクト」は映画制作と原作小説の執筆が同時進行していたらしい。つまり「スペースがもったいない」は原作者から出た言葉かも知れないのか? 気になって再びChatGPTに尋ねてみたところ、そもそも「コンタクト」は当初から映画化を想定されていたらしい。しかし紆余曲折を経ているあいだに、小説のほうが先に完成してしまったとのこと。しかもカール・セーガン本人は映画公開の前年に亡くなってしまったそうだ。なんかシュンとした。 ところで「コンタクト」のなかではテレビ放送の電波が宇宙に流れ出ていて、それを異星人が受信するというくだりがある。 実際そんなことあるの? と調べたら、かつてのアナログ放送は空中に電波を送っていたので、それが宇宙へと拡散されていたのは事実らしい。ただ、当然それは拡散されて弱くなるので、遠い宇宙でそれを映像として受信する可能性は低いと。 映画「コンタクト」は金ローでもやってたし、だれにも届かないにしても、宇宙のどこかへ漂っていった。そう思うと少し気が晴れた。
  • のら
    のら
    @NORA-nyan5
    2026年3月6日
  • renbo
    renbo
    @renbo
    2012年8月17日
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