現代世界における日常生活

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ジクロロ@jirowcrew2026年3月11日読んでる日常生活は、このフィード・バック(一時的、暫定的平衡)の社会的場所として規定づけられる。軽蔑されている決定的なこの場所は、二重の相のもとに現われる。すなわち、それは残滓(考察し、社会的実践から抽出することができる、あらゆる確定され細分化された活動の)であり、また社会的総体の生産物なのである。平衡の場所であると同時に、脅威的な不平衡が姿を現わす場所でもある。このように分析される社会のなかで、人々がもはや彼らの日常性を生き続けることができなくなると、そのときひとつの革命が始まる。そのときにのみ始まるのである。彼らが日常的なるものを生きうるかぎり、古い諸関係が再建されるのだ。 (p.67) 日常生活に浸っているかぎりは、それを「日常生活」と名指すことはない。 言葉はいつも、遅れてやってくる。 そこのところなんだか読んでいて、やや虚無る。 「フィード・バック」のあとに(一時的、暫定的平衡)という説明書きがある。 それが「一時的、暫定的平衡」であると 気づくのは、「振り返る」とき、 それを言葉にしようとしたときに、 いつも、何かが、その瞬間に失われたような 気がしてならない。 「故郷」もまた、フィードバック。 「民藝」もまた、フィードバック。 言葉にした瞬間には、 もう、刹那(切な、切無)い。 それが「再生産」だと言えるのは、もう繰り返すことができないからだ。 そして今日という日は3.11。





