小説家の小説家論

小説家の小説家論
小説家の小説家論
安岡章太郎
ベネッセコーポレーション
1986年1月1日
5件の記録
  • 山川方夫の箇所を読む
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    2026年3月14日
    「動物のことをよく書いて、あまり孤独な感じがしないのは志賀直哉であろうが、外で不愉快な目にあって帰ってくると、門口で飼犬が尾を振って待っている、そういうとき不意に「貴様はじつに善い奴だ」と痛切に思い、犬にも劣るなどという比喩は実に飛んでもない比喩だと思うことが書いてある作品(菰野)などは、やはり志賀氏の孤独な気持があらわれており、またその感情の起伏が、期せずしてユーモラスでもある。」 ——「川端康成」 志賀直哉に好感を覚えた瞬間である🐕
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    2026年3月13日
    「作家の中に宿している“過去”にしろ”故郷“にしろ、また“母親”にしろ、そんなものはみんな作家の書いた作品の中にしかない。私たちがしなければならないのは、その作家の本をひらいて文章をすみずみまで読み返すことだ。百ぺん読み返しても、わからないものは、たしかにわからない。しかし、そうかといって、その作家の故郷に旅行して出掛けてみたり、作家が使って丸めて捨てた原稿用紙を後生大事にひろげてみたりしたって、作品を読んでわからなかったものが、そんなことで少しでもわかったりするワケがない。実地調査は事件の起った現場へ行ってみることだが、文学の現場は作品にきまっている。作家の書きつけた文章を一行ずつたどって、そこに作家が探しもとめた言葉を、こちらも何とか探り当てるより仕方がない。作品から離れた実地調査はムダというより、それは文学に名をかりた悪趣味に過ぎない。」
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    2026年3月12日
    何気なく開いたところから摘み読みしていて、何人目かに読んだ井伏鱒二の頁がとても良かった。ここで取り上げられているような小説家の作品は殆ど読んだことがなくて、井伏鱒二も「黒い雨」は古本屋でよく見るな、くらいの印象だったけれど(特に初期の作品を)俄然読んでみたくなった。といいつつ、この安岡章太郎さんの文章自体が作家論を含んだ随筆でもあり、小説としても読みたいようなとても素晴らしい作品だから、一旦満足してしまった感もある。
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    2026年3月12日
    《私は大正六年八月下旬に初めて上京した。かねがね東京は誘惑が多いと田舎できいていたが、そのころ私は誘惑というのは女と親密にすることだと思っていた。それ以外には誘惑の種類を考えることができなかった。私は早く誘惑されたいと考えて電車の停留場に一時間も立っていたことがある。しかし誰も私を誘惑してくれなかった。東京の街は人通りが多すぎ、顔見知りの人間は一人もいなかった。どの人を見ても、みんな知らない顔である。それで自分の気持はこんなに淋しいのではないかと思っていた》(「上京前後」昭和十一年) ヤング鱒二の上京エピソード。
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